真赤―まそほ―

賽は投げられた・其の六


 李典が泊まっていくことになった。正直、今後どうすべきなのか、曹仁は悩んでいた。と言うより実は帰ってきてから悩み続けていた。
 曹操にあんなことを言われて、気にしないはずがない。しかし、はっきり言ってしまえば、本当にそちらの方を失念していたのだ。
 付き合い始めた頃はまだ、それとなく意識はあったと思う。告白の返事をした時の口づけは気持ちが良くて、会社でなく己の部屋だったとすれば、そのまま押し倒していたかもしれない。もっとも、意識をして『したい』というよりは、流れでそうなっていただろう。だが、それからしばらく、いつもの日常が続いて、今までとさほど変わりがなかったので、その意識が薄れていった。それが曹操に言われ、改めて認識させられたというところだ。
 男とする、というのはもちろん経験のない世界だ。とはいえ、女とすることとそう大きな違いがないだろうことは知っている。だが実際、男を前にして欲情するかと言えば答えはNOだ。しかし、李典に対しては異なる。どこから見ても立派に男であるというのに、意識が違えば些細な行動にも、何かを刺激してくる。実際、李典が洗い物をしている後姿を見て、くるものがあった。
 だが、現実に行動を起こしたら分からない。もしかしたら、土壇場でやっぱり無理、となるかもしれない。キスは大丈夫でも、いざ本番となるとその可能性はある。
 何より、もし、己が女役だったとしたら、間違いなく、無理、である。
 曹操に言われ、そのことを想像して一気に背筋が凍った。そう、李典も男なのだ。今までの行動からして、キスの時も、どちらかと言えば曹仁を受け入れる形だった。だから、おそらく、己が抱く側のはずなのだが、もしかしたらということがある。そうなったら無理だった。いくら好いていても、さすがにそこまでは受け入れれない。
 身勝手ではあるが、それが正直なところだ。本当に好いているならば、どちらでも行けるだろう、と言われたら謝るしかないが無理なものは無理だ。つまり、自分はその程度なのか。
 「…………」
 告白の時と同じく、再び悩みが襲ってきた。知恵熱が出そうだ。
 「曹仁殿? どうしたんですか?」
 声をかけられて、我に返る。見ればシャワーを浴びてきた李典が頭を拭きながら立っていた。着ているのは曹仁が貸したシャツとスエットである。サイズが違うので色々とあまっていた。
 「いや、何でもない」
 何でもなくはない。大アリである。しかし面と向かって聞けるはずもなく。いや、聞かなければならないのだが、タイミングが難しい。そもそもするかしないかすらまだである。曹操はああ言っていたが、李典は純粋に手料理を食べに来ただけかもしれない。
 「水をいただいてもいいですか?」
 「あ、ああ。構わんぞ」
 一言断ってから李典が通り過ぎていく。その後ろ姿はやはり色々と刺激した。特にシャワーを浴びたあとの濡れた髪が首筋にかかっていて、色気も何もないスエットだというのに、何やら複雑な気分である。
 「曹仁殿、ドライヤーがあったら貸してほしいのですが」
 「洗面所のところにあるから勝手に使っていいぞ」
 「はい」
 ほどなくしてドライヤーを使う音がしてくる。懐かしい、人がそばで生活している感覚。だがしかし、それにのんびりと和んでいる余裕は曹仁にはなかった。
 一応、酒を勧めて反応を確かめてみた。というより、自分がこの持て余し気味の悩みを少しでも軽くしたくて酒を飲みたくなったのだ。李典は少し悩んだ後に受け取った。列車で帰ればいいと言って。ああ、やはり帰るつもりか、と思ったが、その後で降りだした雨。そこでもう一度、確かめてみた。何気ない風に、帰るならそうすればいいし、泊まっていってもいい、と選択肢を自由にして。
 そして李典は泊まる方を選び、ここにいる。
 やはりそういうことなのか。そしてするとしたらどっちだ。
 何本目かのビールを開ける。小気味良い音がした。しかし酔いは一向にやってこない。こういう時、酒に強い己が恨めしい。
 「曹仁殿」
 「何だ?」
 髪を乾かし終わったらしい李典がやってきた。
 「私が使う布団はどこにあるのですか? いくら明日が休みでも、そろそろ休んだ方がいいと思うので、布団を敷きたいのですが」
 「……ああ」
 「リビングを使っていいのでしょう? テーブルと座布団を片付けてしまって」
 「…………」
 曹仁とテーブル越しに向かい合い、李典はテーブルを撫ぜた。シャツのサイズが大きいため、首回りが大きく見えている。
 「あまり飲み過ぎては明日に響きますよ。いくら強くても、度を越しては体に悪いですし、曹仁殿の歳だと、そろそろウエストが危ないのでは?」
 「何だ、ビール腹になるとでも言いたいのか?」
 「油断していると誰でもなってしまいますよ」
 「お前な」
 「それを飲んだら休みましょう。それで、布団はどこですか?」
 「ああ、あっちの押し入れに」
 己のベッドが置いてある部屋を指さすと李典は上体を少し屈めて立ち上がった。大きくあいた襟ぐりから胸元がのぞく。
 酒を飲みこんだ時、大きく喉が鳴った。
 曹仁はビールをテーブルに置き、額に手を当てた。当然見えた胸元は豊かではなく、自分と同じく真っ平らだ。しかしそれでも間違いなく今、己は動揺した。
 「曹仁殿、開けてもいいでしょうか?」
 「………………ちょっと待て」
 立ち上がり、曹仁は李典のそばへと歩いて行った。
 押し入れには時折部屋に泊まりに来る従兄弟のために布団がしまってある。そこを開けると、李典が布団を出すため両手を差し込もうとするが、それを制した。
 「いい、俺が出す」
 「あ、はい」
 見上げられて、ふと、視線がかち合った。
 「………………あの、曹仁殿?」
 じい、と見下ろしていると李典が少し居心地が悪そうに首をかしげた。乾かした髪から、シャンプーの匂いがわずかに鼻をかすめる。当然、己が使っているものと同じ匂いだ。だというのに、まったく違うもののように思えた。いや、同じだからこそ、その同じものを李典がまとっている、ということが。
 「…………李典」
 「はい」
 「間違っていたらあとで殴っていいぞ」
 「は?」
 言葉の意味を掴み切れていないままの李典の言葉を待たず、曹仁はすぐそばにあった己のベッドに李典を押し倒した。




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仁さんちは1DKか1LDKのキッチン独立型。

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