賽は投げられた・其の五
曹仁の料理は、想像していたよりもちゃんとしており、しかもおいしかった。
想像をするに、約束をした後、いろいろ調べたのだろう。大雑把な曹仁がそこまで手が込んでないとはいえ、品目を多く作るとは思えないし、自身でも言っていた。味付けは濃いめだが許容範囲であるし、何より曹仁が、自分のために作ってくれたのだと思うと、嬉しい。それを特に意識するでもなくあっさりと言うので、不意打ちの破壊力が半端ないのだが。
しかし。
「何だかんだ言いながら、全部食ったなぁ」
「残すのは申し訳ないですし、おいしかったですしね」
「だろう。どうだ、俺だってちゃんと作れると分かっただろうが」
「ええ、しかし普段からこれくらいだと、なお尊敬します」
李典は缶に残っていたビールを飲み干した。それから食べ終わった食器を片づけ始める。
「ごちそうになったので、後片付けは私がしますよ。台所、お借りしますね」
「おう、すまんな」
曹仁は酒に強いので酔ってはいないが、ほどよく気分が良いようだ。先ほどの言葉もわずかにむっとした表情を出したが、すぐに機嫌を直している。
李典はシンクの中の食器を軽くお湯ですすぐと、スポンジに洗剤を付けて洗い始めた。
「…………」
しかし、曹仁の行動が、分からない。
会社での態度に少し期待したものだが、酒を勧める行動の意味を李典は掴みあぐねていた。
普通ならば、酒を飲むのはもうこれから車を運転する予定はない、ということになる。ならば曹仁は自分を住んでいる場所まで送るつもりはない、ということだ。ならば自分はどうしたらいいのか。ここで考えられるのは二つ。泊まっていくか、列車で帰るか、である。その判断をするために、列車で帰ることを口にしてみたが、曹仁は「そうだな」と言っただけだった。これは、泊まることは考えていない、ということか。
『……期待しすぎたか』
内心、やはりな、と呆れがあった。期待をわずかに抱いた自分も馬鹿らしいが、曹仁の鈍さには腹が立つというよりいっそ微笑ましくなるほどの呆れもあった。もっとも、ついこの間まで、男をそういう対象に見たことがない人だ。無理もない。
とはいえ、部屋に来ることができ、一緒に手料理を食べることもできた。それは嬉しい。
『……このまま回数を重ねて自然にその気になるまで待つか、それとも……』
頭の中で妙に冷静に考えている自分がいた。李典は気は長く、かつ、慎重であるので待つのは苦にはならなかった。
だが、機会があれば。
無理にことを進ませるのは本意ではない。しかし、したくないわけではない。今回はこうやって過ごすだけでも十分に前進したと思うが、どうせならばと思わなかったわけはない。打算だと自分でも思うが、一緒にいられるだけで満足と思える期間は通り過ぎていた。それほど幼く純粋でも、経験を積み高潔でもない。
「李典」
「はい」
思案している時に曹仁が声をかけてきた。声が裏返りそうになるが、何とか押しとどめる。
「雨が降ってきたみたいだぞ」
「え、本当ですか?」
「ああ」
耳を傾けてみれば、確かに何かに当たる雨音がかすかに聞こえてきた。
「……しょうがないですね、本降りにならないうちに帰りますか。曹仁殿、傘の予備ってありますか? あるなら貸してほしいのですが」
洗い終わった食器を濯ぎながら問いかける。
「……泊まっていくか?」
不意に言われた言葉に思わず手を止めてしまった。耳を疑う。
「どうせ明日は休みだ、客用の布団もあるし、お前が良けりゃ泊まっていけ」
「え、あの」
「誰かのとこに泊まるのは嫌だと言うなら、傘はあるし、駅まで送っていくぞ」
曹仁はさっさと違う部屋へ歩いて行き、声だけが届く。どんな表情で言っているのか分からない。しかし声は至って平静だ。
……本当に、ただ泊まっていけ、と言っているだけか。一瞬動揺しかけたが、落ち着いて考えてみればおそらくそうだろう。曹操はうまくやれ、頑張れと言っていたが、本人がこの調子ではまだ先は長い。そこは押しの一手だ、と言われそうだが、なし崩しは何となくいやだった。曹仁が、曹仁の意思で行動を起こしてくれるのが一番いい。告白の時はこちらから動かないとどうしようもなかったが、受け入れられた今となっては、そちらを期待したい。
『……我ながら、浅ましいと言うかなんと言うか』
ため息をつく。そうすると、戻ってきた曹仁が再び問いかけてきた。
「どうする?」
「……それではお言葉に甘えて」
「おう」
ともあれ、一晩共に過ごせるのは嬉しいことに違いはない。洗い物をすべて終わらせて、李典はリビングへ戻った。
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