真赤―まそほ―

告白・其の五


 
 部署に戻ってきた曹仁は重いため息をつきながらも、不思議と鬱屈した気分が薄らいでいたのを感じた。今まで一人で考え込んでいたのを、誰かに吐露したせいだろうか。それにしても従兄は、どうして自分が李典に告白された事に気がついたのだろうかと思う。しかも、妙に納得している様子だった。勘が鋭いのか。やはり従兄は空恐ろしい。
 「曹仁殿」
 思案にふけっているところに、聞きなれた声が名前を呼んだ。我に返って視線を向ければ、李典が傍に立っている。反射的に身構えた。
 「社長はどのようにおっしゃっていましたか?」
 「あ、ああ、このまま進めろと言っていた。この仕事に関しては張遼に行ってもらう」
 「そうですか、分かりました」
 相変わらず職場では姿勢を崩さない青年だった。ふと、手に持っていた資料を思い出す。そういえば先ほど、これを受け取るとき、李典を邪険にしてしまったような気がした。
 「………………李典」
 「はい」
 「……いや、何だ、社長がな、お前の作る資料は見やすくていい、と褒めておったぞ」
 「それは良かった、有難うございます。まとめた甲斐がありました」
 「ああ。……俺も、助かっているし、な」
 「……有難うございます」
 「…………人を珍しげな目で見るな、言っちゃ悪いか」
 「いいえ」
 李典は自然に笑って答えた。それを見て、少し気張った気持ちが曹仁の中で緩む。数日前まであった、仕事の空気を久しぶりに感じた気がした。
 「よし、この件を実行に移すぞ。各自、担当の仕事を再確認しておけよ」
 「はい!」
 全員の返事を聞いた後、曹仁は自分のデスクに戻る。その際、ちらりと李典を目で追った。李典はすでにパソコンに何やら打ち込み始めていた。
 「………………」
 もう一度ため息をつく。それは重苦しいものではなく、溜まっていたものを吐き出し、気分を切り替えるようなものだった。ごきりと肩をならす。
 とりあえず今は、目の前にある仕事を片付けよう、そう思って取り掛かった。





 一人になるとやはり考える。自分は李典をどう思っているのか。その答えはやはり分からなくて、見つけられない。しかし曹操は、李典の想いを受け取らなかったとしても、仕事をする上では変わる事はないと言っていた。そうなのだろう、と曹仁自身も思う。
 だが、公私を割り切るとしても、本人が断られる事を前提に告白してきている、としても、やはり受け入れてもらえないのは当人は辛いのではないだろうか。恋愛感情でなくとも、自分を受け入れてもらえないのは辛い。
 けれど、受け入れられないものは受け入れられない。相手を不憫に思っても、自分を偽る事は出来ない。親しい相手だと、申し訳ない気分にもなる。
 李典は、その受け入れてもらえなかった気持ちをどうするのだろう。幼い子どもではないから、おそらく、辛くとも抱えながら過ごすのだと思う。自分だったらそうだ。そして、新しい出会いを見つけるか、別な事に没頭するかして……。
 そういえば李典は、もともと、恋人と別れていたのだ。そのときは仕事に打ち込んで辛さを忘れようとしていたらしい。そうすると、今度もそうなのか。
 「………………」
 そうなると、仕事を打ち込むにしても、断った相手の自分とずっと顔をつき合せなければならない。仕事をするとき、表面上に出さないとしても、辛くはないか。しかし、こちらが気にしなければ、いつか気持ちに整理がつくかもしれない。終わったのだと思えば、意外と割り切ることもできるのだと、過去の経験から曹仁は思った。
 それが出来なければ、異動願いを出すか、仕事を辞めるか、だ。曹操の思惑を外れ、李典がそれを選ぶとしたら、仕事の面から考えるといろいろ大変だが、しょうがないだろう。
 仕事の面以外では、どうだ。特にプライベートに付き合いがあるわけではないので、困りはしない、だろう。
 「………………」
 では、もし。
 もし、付き合うとしたら、どうなのだろうか。
 気がつけば、今まで付き合ったと仮定した事を考えていなかった気がする。受け入れるか受け入れないか。そこで止まっていた。
 男と付き合った事がないので、同性の付き合い方なぞ曹仁は知らない。だが、同性だからと言って、異性と付き合う事と何か違いはあるのだろうか。話をしたり、どこかへ遊びに出かけたり、旅行へ行ったり、食事をしたり。
 「……李典と、なぁ……」
 ためしに想像してみる。会社以外での李典を見た事がないので、会社での李典で想像するしかないが、付き合ったとしてもあまり会社にいるのと変わりがない気がした。ただ、そこに、李典は自分を好いているのだと言う前提が入る。想いを向けてくる。今日見た、笑顔。
 「………………」
 李典は笑うと、かなり幼く見える。普段が沈着冷静な表情が多いだけに、なおさらだ。思わずその頭をがしがしと撫ぜたくなる。痛いですよ、と言いながらまた李典は笑うだろうか。
 「────って、おい、待て」
 思い浮かんだ光景に、頬が緩んでしまったのに気がついて、思わず曹仁は自分に突っ込みを入れた。何だ、嬉しいのか、見たいのか、その李典を。
 付き合う、とはそういう事だ。笑顔を多く見れる。その機会を自分が作れる。独占できる。
 「独占できるって何だ」
 思い浮かんだ思いに首を振る。確かに、人が喜ぶ姿は見ていてこちらも嬉しい。だが、独占できるとは何だ。勤務時間が終わり、人の少なくなった会社の、誰もいない資料室。だのに曹仁は落ち着かないように立ち上がって歩き回りだした。
 「────曹仁殿?」
 突如資料室のドアが開き、顔を出したのは今まさに考えていた相手だった。ぎょっとして後ずさりをする。
 「な、何だ、いきなりどうした、李典」
 頬が熱いのを自覚したので、何気なさを装うようにそっぽを向きながら聞く。李典は中に入ってドアを閉めた。
 「いえ、資料を取りに来たのですが、まだお帰りになっていなかったのですか? 姿が見えないから、帰られたのだと思っていましたが」
 「あ、ああ。俺も調べ物があってな」
 李典は奥の棚にあるファイルを探して取り出す。後ろ姿。自分よりは細身で小柄だが、ちゃんと立派に男の体格だ。当たり前だが、スーツ姿しか見た事がない。私服はどんなものを着るのか。
 「………………」
 再び内心で自分に何を言っているんだと罵った。どうにも調子が狂う。
 そういえば今のこの状況は李典に告白されたときの状況と同じじゃないかと曹仁は思った。静かな会社、二人しかいない資料室。そう思うと、妙に緊張してきた。息苦しさを覚えて、ネクタイを緩める。
 沈黙が流れ、ぱらぱらと、李典がファイルを開く音だけが耳に届く。
 「……お前」
 「はい?」
 「……俺に何か言いたい事があるんじゃないか」
 李典の方を見ずに曹仁が言うと、振り返った李典はふっと息を吐き出した。
 「……言いたい事と言いますか、訪ねたい事と言いましょうか。ですが、そう何度も催促しては、曹仁殿も鬱陶しいでしょう。そりゃ、早くはっきりしてください、とは思いますが」
 「………………」
 「ですから、もう少し待ちます。……悩む、という事は少なくとも、反射的な感情ではなく、きちんと考えてくださっている、と思いましたので」
 苦笑するような、少し肩の力を抜いたような笑いだった。きちんと考えている。そうなのだろうか。改めて振り返ると先ほどから自分は、言い訳を考えているようにしか思えなかった。断ったときと、受け入れたときの。ただ、断ったとしても大丈夫だろう、という選択肢が見えているのに、それを取ろうとせず、受け入れたときの事を考えるのは何故だろう。
 受け入れたい、のか。
 後の事を考えれば、ただの興味本位で付き合うのは愚の骨頂である。気持ちが分からないのなら、やはり断るべきだろう。それなのに、選び、受け入れる事を考えていた。
 「………………」
 曹仁は李典の方へ歩み寄る。
 「……曹仁、殿?」
 片手を伸ばして、李典の頬を、指の背で撫ぜた。ひく、と李典が緊張したのが伝わる。しかし、目をそらさずにこちらを見上げていた。以前から、この物怖じしない真っ直ぐに見てくる視線が少し苦手だった。自分の間違いを追及されているようで。同時に好ましくもあった。迷いのない清々しさを感じたから。
 曹仁はその視線を真正面から受けた後、一歩踏み出して身をかがめ、そして、
 「──────」
 李典に口付けた。




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仁さん、まさに一歩踏み込んだ。


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