真赤―まそほ―

告白・其の四


 
 ──────結局。
 結局、その日は何も答えられずに帰った。それに対し李典は一つため息をついただけで他に何も言わなかった。曹仁にとって、それはなおさら追い詰められた気分になる。答えなければならない。けれど、答えが出てこない。堂々巡りだ。しかも李典は本当に自分を好いている。冗談ではない、と分かっていても、どこかで違うのではないか、という意識が未だにあるのだ。けれど、それはやはり冗談ではなく、撤回されることもなく、ただ自分に向かって注がれている。
 「………………」
 曹仁はぐったりとベッドに横たわると、眠れぬ夜を過ごした。




 次の日。強面の人相に拍車をかけるように目の下に隈を作りながら出社した。部署の空気が更に重くなる。曹仁自身、寝不足と気持ちの不安定さに苛立ちが募り、態度に出てしまいそうになるのを自覚していたので、顔出しした後は、別件の仕事をするために出た。ちょうど、曹操に話さねばならない件があったのだ。
 「曹仁殿、社長のところへ行かれるのでしたら私も」
 李典が資料を抱えて歩み寄ってきた。
 「………………いや、いい。資料だけ寄越せ」
 「しかし」
 「寄越せ」
 有無を言わせぬ強い語調で重ねて言うと、李典は一間置いた後、資料を差し出す。受け取り、曹仁はそのまま振り返りもせずに歩き去った。



 「……よし、この件はこのまま進めろ。張遼に行かせるといい。孫呉の奴らも計画を進めているらしいが張遼ならうまくもぎ取ってくるだろうからな」
 「分かりました」
 曹操は紙の資料とパソコンのデータ画面を交互に見ながら、まだ何か思案しているようだった。
 「うむ。相変わらず見やすい資料だな。作ったのは李典か」
 「……はい」
 不意に名を上げられて、曹仁は軽く強張った。ぎこちない返事に曹操の片眉が上がる。
 「何だ、お前ら、まだ喧嘩をしておるのか?」
 「いえ、そういうわけでは。それに社長、喧嘩とは何ですか、子どもではありませんぞ」
 「何が原因か知らんが、さっさと仲直りをせい。お前と李典がうまくいかんと業績も上がらんだろう」
 「ですから」
 曹操は言い募る曹仁を無視して資料を眺めた。
 「隈」
 「は」
 「目の下に隈を作るほどなのか? 李典との喧嘩は」
 「………………」
 「何があった。話せることなら話してみろ。働いている者の関係を円滑にするのも上に立つ者の務めだからな」
 パソコンを閉じると、曹操は椅子に深く腰掛け足を組む。促され、曹仁は躊躇した。仕事ではない、思い切り私的な話、それも憚られる類の話だ。いくら社長で、従兄とはいえ、言うのは躊躇う。膝に乗せていた両手を握り締め、口を噤んで黙り込んでしまった。と、不意に備え付けの電話が鳴った。
 「わしだ。………………ああ、分かった。こっちに通せ」
 電話を切ると、曹操が曹仁を見てにやりと笑った。
 「丁度いい、これから我らが母親が来るぞ。李典の事も知っているから洗いざらい吐いてしまえ」
 曹仁はそれを聞いて真っ青になった。




 「………………」
 「………………」
 蛇に睨まれた蛙、とでも言おうか。
 曹仁は目の前に座ったもう一人の従兄の眼光に晒され、冷や汗を流すしかなかった。不機嫌そうな夏侯惇とは逆に、その様子を楽しげに曹操は眺めている。
 「曹仁、今さら言うのも何だが、お前は社会人としてそれなりの立場にいる者だろう」
 「はい」
 腕を組み、曹仁に負けず劣らずの仁王のような強面で言う。曲がった事が大嫌いで、多少意固地なところがある従兄はこうなると、誤魔化しも逃げも通用しない。曹仁はまさにまな板の上の鯉だった。
 「ここ数日、お前の部署の者が愚痴を零しているのを幾度か聞いたぞ。人間、機嫌が悪くなるときはある。だがそれを、部下の前であらわにするのは上に立つ者のする事ではない。分かるな」
 「はい」
 「分かっているならそうならんよう努めろ。……それで、何が原因だ。社長の話では李典とまた諍いを起こしたらしいが」
 「………………」
 「違うのか? 黙っていては分からんぞ。人に言えん事なら自分自身で解決するしかないが、お前の今の状態を見ると、解決できるとは思えん」
 そのとおりだった。一人で悩んで、ぐるぐると深みにはまっているのを自覚している。けれど、まさか言えるはずがない。李典の事で悩んでいると言うのに、従兄二人にその事で追及されるとは、思考回路が焼ききれそうだった。
 「李典とうまくいかんのか? あいつは確かに何事もはっきり言うが、分別のつく奴だ。お前の下に行って一年くらいか? 見ていたらそう悪くないと思っていたがな。業績も伸びているし」
 「……ええ、仕事は、うまくいっています」
 「じゃあ何だ。プライベートなら……まぁ確かに言いづらいか。しかし仕事に支障をきたすほどになったらまずいぞ」
 「………………」
 厳しい口調の中に、少し気遣う声が含まれていて、曹仁は申し訳なく思う。
 そこに、それまで二人の会話に入らずに黙って眺めていた曹操が、ふと口を挟んできた。
 「子孝」
 「は」
 「李典に告白でもされたか」
 「──────」
 突然の言葉に、曹仁は停止した。文字通り、一切の動きが止まった。
 「何を言っておるんですか、社長。こんなときに冗談はお止めくだされ。そら、曹仁、お前がはっきりせんから、社長がおかしな事を口走り始めたぞ」
 夏侯惇は呆れたように窘める。話を振られたが、曹仁は答える事が出来なかった。今、何て言われた。李典に、告白、されたか。曹操に言われた言葉を飲み込み、理解する。頭で意味を把握したとき、一気に羞恥が噴き出した。
 「おお」
 曹操が声を上げる。
 「顔が真っ赤だぞ、子孝。やはり告白されたか」
 「え、あ、いや! こ、これは!!」
 首を振って隠すように片手を頬に当てた。熱い。そんな曹仁を見て、曹操はニヤニヤと笑い、夏侯惇はぽかんと口を開けている。
 「なるほどな、それなら合点がいく。そうかそうか」
 「……告白……いや、待ってくだされ、曹仁も李典も男ですぞ?」
 一人で納得する曹操に、混乱しだしたらしい夏侯惇が身を乗り出す。
 「男同士だが、そういう場合もあるだろう」
 「それは分かりますが、それでは、李典はそちらの嗜好だと言うのですか?」
 「いや、それは違うだろう。わしの見る限り、あれは女の気配があった。偽装やら隠れ蓑ではないだろうな。とすると、両方、という事になるが、しかし、よりにもよってこんなにむさ苦しい男を選ぶとはのう」
 言いながらも曹操は楽しそうだ。夏侯惇は額に手を当てて困惑を隠し切れないでいる。
 「何にせよ、それは個人の嗜好だからな。誰を好いておっても、仕事が出来れば構わん。その辺り、李典は実に良く働く」
 「それは……そうですが」
 「それともお前は同性を好いておるからと全てを否定するのか?」
 「……いえ」
 曹操に言われて、夏侯惇は深いため息をつく。顔を撫で、何度か瞬きをした。
 「……しかし、驚きはあります。……あの李典が」
 「それで、お前は告白されてどうしようか悩んでおるせいで、眠れておらん、というところか?」
 「あ、は、え」
 話の矛先が自分へ向けられて、まだ顔を赤くしたままの曹仁は間の抜けた声を出してしまった。曹操は喉の奥で笑うと、頬杖をついて、何気ない口調で曹仁に話しかけてくる。
 「子孝よ。お前は李典に告白されて、どう思った?」
 「ど、どうって……」
 「受け入れられん、と思ったか? 少しでもそう思ったら、さっさと断れ。それがお互いのためだ」
 話す内容と裏腹に、曹操の態度はどうでも良さそうな雰囲気を漂わせていた。その様子に、少し曹仁は肩の力が抜ける。一度頭を振って、居住まいを正す。
 「……同じような事を、李典にも言われました。ですが……」
 「ですが?」
 「……分からんのです。私は同性より異性の方が好きですし、今まで同性にそんな気持ちを持った事もありません。ですが、はっきりと断る言葉が、出てこなくて」
 「それは仕事の関係もあるからかもな。お前がここで断ればお互い、ぎこちなくなる可能性がある。そうなると、仕事に支障が出るやもしれん。だが、李典は公私を分ける。お前自身、最初はぎこちないやもしれんが、李典が気にもしない態度でおれば、お前もそのうち気にしなくなって、元に戻るのではないか?」
 「………………」
 「さて、そうなるとどうだ。仕事に支障は出ないものと考えろ。お前個人の感情で、李典をどう思う」
 はっきりと言われ、曹仁は口を引き結んだ。夏侯惇は腕を組んで成り行きを見守っている。
 「……………………分かりません」
 熟考しても、出てくる答えはやはりそれだった。しかし曹操は呆れるでもなく気分を害するでもなく、うなずいた。
 「ここでわしが何か言ったらおそらく、お前はその言葉に引きずられるだろうな。何せ初めての事で、わしの言葉には影響力がある。引きずられて、そうなのだろうか、そうかもしれない、と思い込んでしまう可能性が高い。それはお前にも、李典にも良くないことだ。だからわしは口出しをせん。やはりお前自身で決めろ」
 曹操の言うとおり、曹仁は今、曹操の言葉に頼ろうとしていた。出口の見えない場所にいて、そこに方向を指し示してくれるかもしれない存在が現れたのだ。けれど曹操はあっさり切り捨てた。
 「情けない顔をするな。そうだな、一つ言えることは」
 「え」
 「断るにしろ受け入れるにしろ、腹を括れ。うっとうしい」
 「う」
 眉を下げて困り果てた顔をする曹仁を曹操はからから笑いながら手で追い払う。曹仁はその大きな背中を少し丸めながら哀愁を漂わせて部屋を後にした。




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やっとこ先に進めそうです。


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