真赤―まそほ―

告白・其の参



 次の日。
 「それで、どうしたんですか」
 休憩時間に李典を捉まえた曹仁は、半ば有無を言わせずに李典を仕事帰りに飲みに行くぞと誘った。眉間に皺を寄せ、どう見ても楽しみのために飲みに誘っているのではない曹仁の顔を見て李典は何か察したらしく、短く承諾の返事をした。
 最初は大勢がにぎわう居酒屋に行こうとしていた曹仁を、李典が引き止めた。大事な話をするならば、あまり人に会話の聞かれない静かなところがいいのではないかと言う提案をした。かと言って、高そうな料理店に行くのも気が引けるし何より曹仁はそういうところにそれほど詳しくない。会社の付き合いで行く事はあっても、毎回同じようなところだった。
 李典はそんなところでなくとも、十分に静かで個室があるリーズナブルな店はあると言うので、曹仁は案内を頼んだ。
 そして現在、その店に来ている。和食メインの店で酒も豊富だった。個室とテーブル席と、廊下をはさんで分かれており、出入り口の襖を開けると喧騒が届くものの、閉めてしまえば通常の話し声はほとんど聞こえない。かといって肩肘張るような窮屈さもなく居心地は良かった。
 酒やら料理やらを注文して、他愛ない話や、仕事の事を話す。一通り料理が揃って店員がいなくなると、李典が静かに切り出した。曹仁は日本酒を軽くなめる。
 おそらく李典は、例の返事と思っているだろう。しかし曹仁は返事云々の前でまだ悩んでいる最中だ。返事を先延ばしにするのは情けないとは思うが、その前に、はっきりさせたい事がある。
 「お前」
 「はい」
 言葉がそこで一旦止まり、上手く滑らない。曹仁は酒を流し込むと、勢いをつけて口を開いた。
 「俺の何が良かったんだ」
 「え?」
 「だから、何で俺なんだ。よく分からないと言っておったが、それでも何かしらその切っ掛けとかはあったはずだろう」
 「………………どうして今さらここで、そんな質問が出てくるんですか。私は答えを聞きたいと言ったはずなのですが」
 思い切り非難がましい視線を向ける李典に曹仁は苛立ったように声を荒げる。その苛立ちは李典へではない事を自覚して。
 「わかっとる、わかっとる! だがな、訳が分からんままじゃ納得が出来ん。俺自身がどうこうより、何でお前が俺を選んだのか、そっちが気になるんだ!」
 「……それで、私がその理由を言ったとして、曹仁殿は納得されるのですか。納得されたら返事をいただけるのですか」
 李典は相変わらず冷静に切り返してきた。当事者だと言うのにまるで他人事のようにも聞こえる。しかし曹仁は小難しく言葉の応酬をする気はない。下手に考えても自分には不向きだと分かっていた。ならば、思った事を言うしかない。
 「分からん」
 「………………」
 「正直、その答えを聞いたとして、返事が出来るかどうかなんぞわからん。だが、俺はその部分がひっかかってどうしようもない。だから、話せ」
 真っ直ぐに、その目を見て言う。李典は少しその視線を受け止めたあと、ふいと視線をそらした。
 「……切っ掛け、というものなのか分かりませんが」
 そしてぽつりと話し始める。
 「曹仁殿の下に異動になったのは、ちょうど彼女と別れた頃です。いろいろありましたから、仕事に専念して紛らわせたい気分もありました。けれど、あなたは大変な方だったので紛らわせる、という範囲で収まらないほど忙しかったですけれど」
 「………………」
 「行動力はありますし、まとめる力もある。ここぞという度胸もおありです。ですが、周りが見えない事もありますし、どこか詰めの甘いところもあります。私がそれを言うとあなたは不快そうでした。無理もありませんよね、まだ1年くらいの新人に口出しされたら腹も立ちましょう。ですが、私はやるなら万全をきしたいと思っております。だから、あなたにいくら怒鳴られても進言はやめませんでした」
 「……そうだな。異動になってそれほど経っておらんのに、まるで全部知っているかのような態度に見えたしな」
 当時を思い出して、曹仁は苦い顔をする。腹が立って李典を怒鳴りつけたりもしたが、結果としては、李典の言うとおりだったところが多かった。それを認めるのが不満だったが、李典はそれに対して功を誇るでもなく、冷静に、曹仁の性急さをたしなめるだけだった。それがまた気に食わなくて、邪険にしたりもした。
 「本当に、正直困った方だと思いました。力はおありなのに急ぎすぎる。誰かがフォローすればもっといい仕事ができるのにと思いました。けれど、皆さんはどちらかと言うと曹仁殿のようなタイプの方が多いですよね」
 確かに。朱に交われば赤くなる、と言うのか、曹仁の周りの部下は曹仁の性格に近しい。だからこそ上下関係も円滑だったのだが。李典のような人物の発言は、勢いに水を差すようなもので、煙たがっていた。
 「そこで、社長が私を曹仁殿の下に異動させた意味が分かりました。夏侯淳殿もたまに先走るところがおありですが、それはごく一部のことで、大抵は律する事も出来ますし公平な方です。ですが曹仁殿はそうでもない」
 「……お前、相変わらずはっきり言うな」
 「事実です」
 「事実でも歯に衣着せぬ言い方はいらぬ争いを生むだろうが」
 「私は争いをしたいわけでもあなたを怒らせたいわけでもございません。ただ、事実を飲み込んでいただき、現実問題を直視して解決してほしいと思うのです。その力が曹仁殿にはおありなのですから」
 「………………」
 「他に言い方があるのやもしれませんが、今の自分ではこういう言い方しかできません。それに、回りくどい、オブラートに包んだ言い方では曹仁殿には伝わりにくいでしょう」
 眉間に皺が寄るが言い返せない。
 「私は自身の役割を把握して仕事に打ち込みました。とても忙しくて、大変でしたがそれほど苦ではありませんでした。私は昔から、自分が先頭に立つより、誰かのフォローやサポートをする方が好きでしたしね。そして曹仁殿は実にサポートのし甲斐のある方です」
 「褒めておらんだろうそれは」
 「褒めてません」
 さらりと李典は返す。曹仁は忌々しげに酒をあおった。
 「次第に、今までの経緯を見ても、……ああ、これは一種の驕りかもしれませんね」
 「何だ」
 怪訝な顔で曹仁が聞けば李典は神妙に言う。
 「あなたは私がいないと駄目なんだなぁと」
 「なッ!」
 思わず声を上げた。さすがにそこまで言われると黙っていられない。
 「どれだけ人を馬鹿にする!! お前がおらんでも俺は今まで仕事をこなしてきたわ!!」
 「馬鹿にはしておりません。ただ、事実を言っただけです」
 「事実事実と言うが、事実だからと言ってお前はどれほど偉いと言うのだ、まるで人を駄目人間のように言いおって!」
 「申しておりません。曹仁殿は力はおありだと言ったはずです。ただ、それを生かす機会をうまく使われていない」
 「お前ならそれができると言うのか」
 「少なくとも、実行してきたと思います」
 曹仁の眼光に、李典は怯みもしない。
 「……思えば、それが切っ掛けだったかもしれません」
 「あ?」
 「……あなたを想うようになった」
 息を飲む。怒りで忘れてしまいそうになっていたが、そうだ、ここで話していたのは、その事なのだと曹仁は思い出す。
 「あなたの下で働くのは大変です。ですが、嫌ではないのです。あなたが動き、私がそのサポートをする。それがいつの間にか私の中で充実して、楽しくて、大事になった」
 「………………」
 「そこまでなら、上司と部下として、何も問題はなかったのですが。知らない間に、私はその垣根を跳び越えてしまっていた。どうしてかは分かりません。……気持ちを、正確に言い表す事なんて出来ないと思います。ただ、私はあなたをそう想うようになっていた。それだけです」
 淡々と分析するような口調だった。ともすれば想いは本当にあるのかと疑いたくなるような声だったが、言い終わった李典は、小さく息を吐き出すと、少し居心地が悪そうにうつむいていた。ほのかに、赤い。
 「──────」
 それに気がついて、曹仁は無意識に手が出そうになる。が、不意に襖の向こうから、どっとひときわ大きな声が聞こえて我に返る。出しそうになった指先を握りこんで気がつかれないように隠した。
 「……他に、何かお聞きになりたい事はございますか」
 李典が顔を上げる。曹仁は拗ねたようにそっぽを向く。
 「……いや、ない」
 「……それならば、答えは出そうですか」
 「………………」
 曹仁は答えなかった。李典が自分を想うようになった切っ掛けは聞いた。それで何となく、前よりは納得がいったような気分ではあった。少なくとも李典は、自覚する前から人として好意を持っていた、らしい。




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