告白・其の弐
「どうした、子孝。朝から浮かぬ顔をしおって」
次の日。出社すると従兄の曹操からそう言われた。
「おはようございます。いえ、昨日、寝付けなかったので……」
「お前が珍しいな。この間の契約はちゃんとまとまったのだろう? ならばむしろ快眠のはずだが」
「はぁ……」
曹仁は曖昧な返事をする。原因は分かっているが人に言えるはずもない。曹操相手でもそうだ。一つため息をついて眉間を揉む。脳裏に浮かぶのはやはり一人の青年だった。
「李典と何かあったのか?」
「!!」
突然言われて、曹仁は息を飲む。
「その反応を見るとやはりそうか」
「しゃ、社長」
まさか、曹操は自分と李典の昨日のやり取りを知っているのか?と曹仁は冷や汗をかく。あの時、周りには誰もいなかったはずだがこの従兄の場合、常識と言うものが通用しない。何を知っていても不思議はない、と思ってしまう。だが、曹操はそんなときに浮かべる意地の悪い表情ではなく、いたって普通だった。
「いや、何。さっき李典を見かけてな。あやつも浮かぬ顔をしていたから、また言い合いでもしたのかと思ったのだ」
「………………」
「子孝、李典がお前を諌めるのも、お前の事を思ってだぞ。年下で経験も浅い若造だと侮るなよ?」
「……分かっております」
「なら良いがな。何にしろ、諍いもほどほどにするんだな。毎度の事とはいえ、上の者がぴりぴりとしておったら空気が悪くなっていかん」
「……はい」
そう言って曹操は曹仁を残して去っていく。一緒にいる典韋と許チョに何やら指示を出しながらエレベーターに乗り込んだ。その姿を見送ってから、曹仁はもう一度ため息をついた。
「………………」
李典もどうやら自分と同じく、らしい。ほとんどそういった変化を表さず、常に沈着冷静でいるはずの李典が、何も知らぬ者から見てもおかしい、と思う様子なのか。意外だった。李典なら何があろうと平静を保っていそうだと思っていた。それが。そう考えると少し気分が重くなる。この気分を晴らすには、昨日の李典の告白にはっきりと答えればいいのだが、曹仁は一晩悩んでも、答えが出ていなかった。
だが、悩む、という時点で曹仁はおかしい、とも思っていた。
男に告白されても、即座に断るはずだ。例え親しくとも、そちらの嗜好は持っていないのだから。試しに幾人か長年付き合いのある部下や知り合いを思い浮かべてみたが、寒気しか起こらない。微妙に気持ち悪くなる。それが李典の場合、断る、という選択肢を取る事にためらいを覚えたのだ。ありえない、と思っているにもかかわらず、相手をふる言葉が出てこない。昨日の夜、その事に気がついて愕然とした。
では何か、自分は李典を憎からず想っているのか、と考えてみても、今度は逆にはっきりと肯定など出来ない。違う、違うだろう、と否定する気持ちばかりが湧き上がる。そして今朝までその繰り返しで、うとうととしたくらいで睡眠が取れなかった。
「……何をやっとるんだ、俺は」
顔をなでて一人ごちると、曹仁は気持ちを切り替えるように強く一息吐き、部署に向かうために歩き出した。
挨拶をして自分の席につく。自分が処理しなければならない書類の数々がデスクの上にすでに置かれていて、いくつかざっと目を通していると、静かに誰かが前に立った。
「………………」
顔を見なくとも分かっている。だが見なければならない。曹仁は僅かな緊張を覚えながら小さく息を飲んで顔を上げた。
「どうした、李典」
そこにはやはり、件の青年が立っていた。
「おはようございます。さっそくですが、こちらにも目を通していただきたいのですが」
「ん」
李典は用意していた書類を曹仁に手渡した。その仕草には特に違和感もなく、表情に陰りも見えない。内心、曹仁は気を削がれた。曹操からは様子がおかしい、と言われていたはずなのに、今見る限りでは特におかしいという風でもなかった。声も落ち着いている。本当にまるで、昨日の事などなかったかのように。
書類で気になった点を質問したり、その説明を受けたりと会話をするが、やはり李典に感情のぶれは見られない。気負って悩んでいた曹仁が自分で馬鹿らしく思えるほど平静だった。
「……よし、これはこれでいいな」
「はい、有難うございました」
話が終わると、李典は曹仁に一礼をする。何度も見た光景だ。席に戻るときも、何か変化はあるかと目で追ってみたが特にない。
「………………」
曹仁は眉を寄せた。何もおかしくないじゃないか、とどこか残念に思った。
「──────」
残念て、何だ。
慌てて頭を振って曹仁は他の書類に手をつける。単純に、曹操におかしいと言われていたのにおかしくないから、そう思っただけだ、それ以上に何もない、と自分で自分に言い聞かせる。しかしそれ以降、微妙に李典の顔を直視するのが難しく、曹仁は不確かな、自分でも分からないもやもやを持て余す気分で仕事をした。
その日は結局、何事もなく終わった。だが、曹仁の精神疲労は半端ではなかった。一人で仕事に集中しているときはいいものの、李典と話さなければならないときはどうにも身構えてしまう。李典はどこまでも常と同じで変化がないというのに。昨日の事も、朝の曹操の言葉も、そして目の前で仕事をしている李典の態度も全部ひっくるめ、どう判断したらいいのか曹仁には分からなくなっていた。
普段からして、口を引き結んでいると強面だというのに、今日はさらに眉間に深く皺が刻まれていて、他の部下たちは遠巻きに曹仁を見ていた。下手につつかない方がいいと判断したのだろう。ざっくばらんな牛金でさえ差しさわりのない、仕事の話しか振らなかった。
仕事を終え、そのまま帰宅する気にもなれず、曹仁は休憩所でコーヒーを片手に備え付けの椅子に腰掛けていた。自宅で一人になると延々と昨日の事を考えるので気が滅入るのだ。会社だと、一人でいてもどこかに誰か彼かがいるので気が散りやすい。
しかし、それは現実逃避だということも分かっていた。考えて答えを出さなければ終わらない。
ブラインド越しに、暗くなっていく空と明かりのつく街が見える。いい加減帰らねばな、と思うが足が重い。
「………………」
李典は、いつから自分をそういう対象に見ていたのだろうか。会社に入った頃はまだ彼女がいたというが、いつ別れたのか。
李典が曹仁の下に異動になったのは入社して一年に満たない頃で、その頃からもう一年は一緒に仕事をしているが、プライベートな話はほとんど聞かなかった。仕事が遅くまでかかっても何を言うでもなく、黙々とこなしていたし、イベントごとにある飲み会やら何やらにも比較的顔を出していた。そう考えると、自分の下に来たときにはすでに別れていたのかもしれないと曹仁は思った。もしくは、仕事優先で、彼女を待たせていたのかもしれない。
どちらにせよ、ちゃんと彼女のいた男が、よりにもよって自分のような男を、想うに至ったのかが分からない。見目が女性的というわけでも性格が優しく細やかと言うわけでもない。むしろ曹仁はその真逆だ。厳つく、ごつく、実に雄々しく、女性的でもなければ中性的でもない。ただ、確かに昔から女よりは男に好かれる事は多かった。ただし、それは恋愛のそれではなく、頼れる兄貴分、のような感じで慕われるものだった。曹仁自身も、弟がいたことから、年下の者の面倒を見るのは好きだった。
だから、最初の頃こそその言動が癪で癇に障っていた李典だが、慣れてくるにしたがって他の者と同じく、癖はあるが可愛い部下だと思っていた。李典の場合はそれに加えて、行動のフォローが上手く、曹仁自身、仕事がやりやすかった。そのため、何かしら行動を共にしていた。
側にいるのが当たり前で、口やかましいが頼りにはなる部下。そのはずだった。
「………………」
それが、どうやら李典の方は違ったらしく。
分からない。分からない。何がどうしてあいつは俺を。
曹仁は再び考え込み、鬱々とした気分になった。だが、曹仁は元々気が短い方だ。昨日から続けてずっと悩みっぱなしはさすがにうんざりしてきた。考えても堂々巡りに、腹すら立ってきた。
「………………考えても、埒が明かん」
飲みきったコーヒーの紙コップをぐしゃりと握りつぶす。
自分の事はこの際、置いておく。今は李典の話が聞きたかった。いきなり告白されてもそれに至る理由が分からないのではどうすることもできないと曹仁は判断した。自分の気持ちよりも先にそればかり気になるのだから、それをはっきりさせたいと考えた。
明日にでも李典から聞き出そう、そう思って曹仁は握りつぶされた紙コップをゴミ箱へ投げ捨てた。
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同じところを歩いて歩いてぐるぐるぐるぐるしている曹仁さん。まったく進んでません。
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