真赤―まそほ―

告白・其の壱



 まず曹仁は己の耳を疑った。ついで、目の前にいる青年をまじまじと凝視する。青年は口を引き結び、平静な顔をしていたが、頬が赤かった。その表情に、今し方、己の耳に届いた青年の言葉が現実のものだったのだと、曹仁は悟る。悟るが、信じられなかった。
 ぱく、と声にならない声が漏れて口だけが動く。声を失うとはまさにこのことだ。何故、どうして、という問いと戸惑いだけが頭を支配する。そんな、言葉が出ないでいる曹仁を、李典は居心地が悪そうに睨み付けた。
 「何ですか、その顔は」
 「え、あ、いや」
 不機嫌な声で言われ、曹仁は我に返る。だが、まだ混乱したままだった。頭の中がぐるぐると撹拌されるようで、とにかく考えがまとまらなかった。それでも必死に、どうしてこんな状況になっているのかと、曹仁なりに振り返る。



 今日もいつもどおりに仕事をこなしていたはずだ。大きな契約を取り付け、一息ついて、資料室で要り用の資料を集めてまとめていた。こういう小難しい仕事は李典の方が手際よく、曹仁は李典にそれを任せて別な仕事をやっていた。静かな部屋で、特に何事もなく。すでに退社の時間は過ぎているが、切りの良いところまでやり続けた。
 そして、ようやく終わり、先に終わっていたらしい李典が、出してきた資料をまとめ片付ける。曹仁は伸びをして気を抜いた。そうだ、いつもと変わらない日常だ。何があったわけでもない。
 ただ、二人でいただけで。それもよくあることだ。

 従兄である曹操に、お前のサポートをさせる、と言って押し付けられた、まだ入社して一年にも満たない青年。どうして自分がこんな半人前を、と思ったが、それはすぐに誤りだと気がついた。李典は入社してから、曹仁のもう一人の従兄である夏侯惇の下で働いていたらしく、そこで曹操の目に止まって曹仁の下に異動になった。異例のことだが、李典は曹操の期待に応えるように曹仁の下で働いた。
 曹仁の腹立たしい事にこの青年はよく働く。しかも、曹仁の苦手とする分野に明るく、その知識で確かに曹仁を助けた。かと言ってでしゃばる事もなく身を慎むようにしている。だが、曹仁が無茶をやろうとすると必ず、冷静に沈着にそれを諌めてきた。それがいちいちもっともで癇に障ったが、その諌めを聞かず押し通そうとして危なかった契約が実は少なくない。
 何度かの苦い経験の後、曹仁は李典とそれなりにうまく上下関係を築いていけるようになった。

 そう、他の何者でもない、『上司と部下』だ。
 そして今日だって何事もないいつもと変わらない日常。
 仕事が終わって、明日の予定を何気なく話していたはずだった。
 ふと、会話が途切れて、どうしたのかと李典を見てみれば、何やら小難しい顔をしていた。曹仁は訝しげに、どうした、と訪ねる。すると李典は曹仁を真っ直ぐに見上げて、言った。

 『好きです』、と。




 内心頭を抱えた。ちょっと待て、それはどういう意味だ。と何度も何度も問いかける。だが言葉にしていない問いに誰が答えられるわけでもなく。
 好きです、って、何だそれは。俺は男でお前も男で、上司と部下で。
 「──────」
 はた、と曹仁の混乱が止まった。
 ……ああ、そうだ、そうか、そうだろう。
 一つの合点がいって、曹仁は李典を見る。李典は少し身をこわばらせた。だが、挑みかかるように強い視線で曹仁を見つめ返す。
 「……何か、おっしゃることはないのですか」
 そう言われて曹仁は、がり、と頭をかいた。
 「………………………………ああ、ありが、とう、か?」
 「………………は?」
 曹仁の疑問符のついた返答に、李典も疑問符で返した。眉を寄せ、胡散臭げに曹仁を見上げる。
 「いや、さっきの。上司として、好いとると言う意味だろう?」
 「──────」
 それ以外の何だというのかと、曹仁は李典を見下ろす。李典はその返答に今度は呆れたように顔を下げてため息をついた。
 「おい、何だその態度は」
 「……あまりのことに呆れ返ったんです。……確かに唐突だったかもしれませんが、あれをまさか、そう取るなんて…………いや、そうか、無理もないか……」
 「一人で納得するな」
 ぶつぶつと口の中で呟かれた言葉に曹仁は苛立つ。
 「いえ、……曹仁殿を悪く言っているわけではございません。……むしろ、当然の反応、ですよね。いきなり男相手に言われたらそうなりますよね」
 「………………」
 李典の言葉は状況を分析するように、まるで他人事のように淡々としているが、その内容はつまり、先ほどの言葉はそういう意味ではない、と言っているようなものだった。
 「……違うのだったら、何だ」
 「………………上司と部下とか、先輩と後輩とか、敬愛しているとか尊敬しているとか、そういうものではなくて。それ以外の意味で、お慕いしていると、言っているのです」
 先ほど投げ飛ばした現実を叩きつけられた気分だった。つまり李典は、曹仁を相手に、敬愛でも友愛でもなく、恋情の念を持っていると、いう。
 「──────いや、ちょっと待て」
 「何ですか」
 再び混乱し始めた曹仁に、李典は不機嫌な声を隠さない。
 「俺は男だぞ。お前も男だろうが。世の中にはそういうやつらもいるのは分かっているが、と言うか、お前、そうだったのか?」
 「同性を好く、ということですか。それでしたらおそらく違います。この会社に入った頃はまだしっかり恋人がおりました。女性の。それも、結婚しようと話していた相手です」
 「だったら何で!」
 「あいにくと彼女とは別れました。……私が彼女に寂しい想いをさせすぎてしまったから」
 「………………」
 そういう李典も寂しげで、同時に辛そうでもあった。その表情に曹仁は言葉を次げなくなる。
 「……彼女の事は本当に愛してました。だから、少なくとも同性だけ、というわけではございません。それに」
 「……それに、何だ」
 「今まで同性相手に少しもそんな想いを抱いた覚えはございません」
 「────じゃあ、何で俺なんだ?!」
 声が荒くなってしまうのに気がつくが、止められない。だが李典は気にした風もなく、続けた。
 「正直、私自身、よく分かりません。ですが、勘違いや気の迷いでは、ありません。私なりに、大分考えましたから」
 その言葉は重みがあった。李典は慎重だ。感情のままに事を起こしたり突っ走ったりしない。何かの考えに盲目になったりもせず、常に第三者のようにあらゆる視点から物事を見ようとする。その青年が、衝動的にこんな事を言うはずがなかった。それは誰より曹仁自身が知っていた。
 「………………」
 額に手を当てて、曹仁は椅子にその身を沈める。混乱と困惑の局地にいた。まさか、部下に、それも男に告白されるなど、思ってもみなかった。
 「………………曹仁殿」
 「あ?」
 しばらくの沈黙の後、李典がそっと声をかけてきた。
 「ご無理でしたら、はっきりとそうおっしゃってくださいませんか」
 「何?」
 「何を悩んでいるのか存じませんが、……受け入れられないと思うのでしたら、どうぞ構わず断ってください」
 「………………」
 「こういう場合、曖昧な態度は一番良くないのです。お互いのためにも、はっきりと言ってください」
 「……お前」
 まるで最初から断られるだろうと思っているような口ぶりだ。だが、無理もない。曹仁自身、同性を好くわけでなく、女が好きだ。あいにくと今は結婚はしておらず、恋人もいないが、それでも男を恋人にしようとは思わない。そんな曹仁を分かっているから、李典もそう言うのだろう。
 ふられると分かっていながら、告げずにはいられなかった。そんなところだろうと曹仁はまとまらない頭で何とか考えた。けれども。
 「………………」
 李典はそれ以上言う事はない、というように、口を噤んで曹仁を見ている。覚悟は決めている、という表情でもあったが、何かを耐えているようでもあった。
 同性を恋人にしようとは思わない。絶対に思わない。
 だが、そんな李典の顔を見て、性急に答えをだしていいのか、と思い立つ。
 ここで断ってもおそらく、明日から何事もなかったかのように李典は接してくるだろう。公私を分ける青年だ。私情は持ち込まない。
 けれど自分は本当に無理なのか?と、普段なら思いもしない考えがよぎった。李典は口やかましいが、それはすべて曹仁の事を考えての言葉が多い。口には出さないが感謝もしている。一緒にいるのが、どこか当たり前のように感じている事もあった。側にいないとどことなく落ち着かない気分を覚えた事もあった。
 「………………」
 同性相手は考えられない。それは確かだ。だが、『李典』は?
 「……曹仁殿」
 李典に名を呼ばれ、はっとしたように曹仁は改めて李典を見た。
 「………………その、な」
 「はい」
 ぐ、と李典の手が拳となって握られたのが視界の端に映る。
 「………………もう少し、時間をくれんか」
 「………………は?」
 予想していたものと違ったらしい言葉に、李典は目を見開く。それからすぐに、曹仁を非難するような視線に変わった。
 「変な気遣いはやめてください」
 「気遣ってなどおらんわ! ただ、本当に時間が欲しいと、思っただけだ」
 「……何故ですか」
 曹仁は問われて、頭をかきながら視線だけそっぽを向く。
 「男相手にそんな気にはなれん。それは間違いない。だが、……何だ、お前だと、よく分からんのだ」
 「………………」
 「だから、保留だ。いきなりで混乱しとるし、な」
 言い終わって曹仁がちらりと李典を見ると、李典は眉をひそめ、複雑そうに押し黙っていた。
 「……李、」
 「あまり」
 「………………」
 「……あまり、時を置かないでいただけますか。なるべく早めに、答えをください」
 声は平坦で、感情のぶれは見られなかった。李典はそう言うと、曹仁に一礼をして、静かに立ち去った。
 「………………」
 曹仁はどっと疲れがでたように、椅子に思い切りもたれかかり、天井を仰いで大きなため息をつく。目を閉じると、まぶたの裏に李典の後ろ姿が浮かぶ。いつも見ている姿だ。それから先ほどの、耐えるような表情が浮かぶ。
 「……俺は……」
 呟きはそれ以上続かなかった。




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李典さん告白編。
無駄に長い。まだ続くんですよこれ。
感情やら回想やらばっつりカットすれば本当短いんですが、そういうの書くのが好きです。すみません。
李典さんの彼女は大学入ってからの人で4年ほど付き合っていたんですが、仕事につくようになってから一緒にいられる時間が取りづらくなって、そこから徐々に離れていってしまった……てな感じでしょうか。多分、まだお互いに好きだけれど、今の仕事を変えるつもりが二人ともないので、これ以上は無理、かな、と。仕事と恋人、どっちが大事?と問われ、二人とも両方だったんだけれど、無理をしすぎてしまった。
彼女さんが出るわけじゃないんですが無駄に設定を考えています……。

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