真赤―まそほ―

星影さやかに


 夜の帳が降りたというのに、今日の浜松城は騒がしい。
 眼下で忙しなく行き来する家臣たちを、竹千代はまるで他人事の様に眺めていた。自分を探しているのだと分かっているが、どうしても名乗り出る気になれない。

 (わりぃ事してんなぁ…)

 竹千代は一人、天守の屋根の上で小さな溜め息をついた。

 足元の闇に仄かな光が瞬く。やがて光は轟音と共に、空色の火柱に変わった。それはバーニアの光、本多忠勝が羽ばたかせた翼の色に他ならない。

 (一人じゃそんな遠くには行けねぇのに、大袈裟だなぁ)

 日頃誘拐されがちの我が身を棚に上げて、竹千代は二度目の溜め息をついた。

 一際大きくなった轟音と共に、蒼い光がゆるやかな軌跡を描き天へ上ってゆく。まるで地上にあった星が天へ還る様だと思った。

 (タダカツが遠くに行っちまうみてぇだな)

 不意に視界がボンヤリと滲んでくる。下を向いて両目を擦っていると、一度は離れたはずの轟音がだんだんと近づいてくるのに気がづいた。驚いて顔を上げれば、目の前に鈍色の大きな手が差し出されている。恐る恐る視線を上に遣れば、真朱の光を放つ本多忠勝の右目にぶつかった。

 「タダカツ…」

 バーニアの輝きが逆光の中にその姿を置く。仮にハッキリと見えたところで、本多忠勝の顔から表情が読み取れる訳でもないが。ただ、差し出された手は無理に竹千代へ触れようとしなかった。だが、一方の竹千代も素直にその手を取れないでいる。つい先ほどまで胸にあった感情がひどく醜いものだと自覚するが故に、本多忠勝が向ける純粋な忠誠を受け取る事へ躊躇が生じた。

 「タダカツ、すまん……ワシは…ワシは……」

 考えれば考える程、溢れ出す涙が竹千代から言葉を奪う。そんな竹千代を急かす事もせず、本多忠勝は空中に留まり、ただ黙って主がその手を取るのを待っていた。

 「本多殿、いけません!」

 下から見上げる整備兵らが悲鳴混じりの声を上げる。

 「先ほど無理に垂直離陸をなさったばかり、今もホバリングなど…オーバーヒートでバーニアに損傷が出るのも時間の問題!すぐお戻り下さい」

 だが本多忠勝は整備兵の説得に応じる素振りを見せない。その手は変わらず、目の前に差し出されたままだった。
 いつしか轟音に聞きなれないアラート音が混じる。蒼く美しい翼に時おり辰砂の光が煌めいた。整備兵の懸念通り、バーニアが限界寸前まできている。それは竹千代の目にも明らかだった。

 「タダカツ、もういい。もういいんだ!」

 竹千代が止めても、本多忠勝は腕を伸ばす事を止めない。間断なく響くアラート音、下で叫び続ける整備兵たち。それらを一切顧みる事なく、本多忠勝は自らの意志でそこに留まり、竹千代を待っていた。
 その姿に、訳も分からず胸の内が熱くなる。

 「タダカツ…」

 竹千代が再びその名を呼んだ時、突然バーニアから光が消えた。浜松の宵闇にアラート音だけが響く。竹千代の目の前へ差し出されていた手が、スローモーションの様にゆっくりと離れていった。咄嗟に手を伸ばすも、僅かな差で届かない。

 「タダカーーツ!!」

 竹千代は屋根の瓦を蹴り、夢中で本多忠勝を追いかけた。そして精一杯手を伸ばし、落ちてゆく本多忠勝の手を握る。

 その手を取った瞬間、いつも真一文字に引き結ばれているはずの口元が微かに綻んだように見えた。

 (タダカツ…笑った)

 それは小さな奇跡。
 同時に、それは竹千代に残る最後の記憶。

 鋼鉄の腕に抱かれて、竹千代は天守から地上に落ちていった。



 ■ 



戻る

designed