真赤―まそほ―

賽は投げられた・其の八


 「李典、うまくいったようだな」
 曹操が上機嫌で声をかけてきたのは月曜日の朝だった。
 「何がでしょうか」
 「隠すな隠すな。子孝はお前ほど隠し事のできん奴だから、様子を見ていれば分かる。それに一言だけだが礼も言ってきたしな」
 「ああ……」
 遠い目をする。しかし、曹操が曹仁の後押しをしてくれたおかげで今回のことが起きたのだから、ありがたいと言えばありがたい。
 「詳しく聞きたいところだったが、あやつめ、そこだけは頑として口は割らん」
 「それは当然だと思います……」
 例え社長でも従兄でも恩ある人物でも、夜の話をしゃべりたくはないだろう。
 「力を貸したのだから、少しは教えてくれてもいいものだと思うがなぁ」
 「……あの、今回のことといい、社長はそちらの方に抵抗があまりないようにお見受けしますが」
 男女の艶話ならともかく、同性のそんな話は普通聞きたがらないものだと思う。曹操は女性好きで知れ渡っている。もともと懐の広い人物だとは思っていたが、広すぎる気がしないでもないと李典は内心首を傾げた。
 「ないな。色恋など形はそれこそ様々であろうよ。もちろん、想い合う者同士、お互いの気持ちが揃ってこそだがな。その点、お前らは大丈夫だろう」
 「ありがとうございます……」
 気恥ずかしくなって、それでも李典は顔を引き締めながら言った。しかし頬は染まる。
 「お前の場合、あの子孝だからな。堅物相手は苦労するだろう。私も苦労しているからな」
 「え」
 それはどういう意味だろう、と考えた。日常的に曹仁の扱いが大変だということなのか、それとも他の意味か。
 「社長、そろそろ」
 そこへ曹操の側近を務めるうちの一人である許チョがやってきた。
 「おお、もうそんな時間か。ふむ、しょうがない。また今度詳しくな」
 「詳しくは申せません」
 からりと笑って立ち去る曹操に李典ははっきりと言い切った。それにまた曹操は笑う。それから許チョを後ろに従えてエレベーターへと乗り込んだ。一礼をして見送る。顔を上げた時、エレベーターのドアが閉まり切る前で、ほんの一瞬だが、中の様子が視界に入ってきた。
 それは、曹操の手が許チョの頬に伸びていた姿である。
 「────え」
 何気ない仕草だ。だが、李典にはそう思えなかった。一気に混乱する。ちょっと待て、まさか、いや、でも。
 「おい」
 突然背後から声をかけられて、李典はびくりと肩を震わせた。振り返れば先ほどまで曹操との話に出てきた人物。
 「……曹仁殿」
 「何をしておるんだ、こんなところで」
 「……いえ、社長と話をしておりました」
 「う、何か聞かれたのか」
 曹仁は僅かに顔を赤らめて、だが同時に眉を寄せて苦い顔をした。
 「ええ、ご想像通りのことを」
 「……言わんかっただろうな」
 「当たり前です。曹仁殿も迫られても言わなかったそうで」
 「誰が言うか! 確かに社長には世話になったが、それとこれとは違う!」
 「大声を出さないでください、周りが何事かと思いますよ」
 李典が冷静に言えば、曹仁ははっとなって口を押えて辺りを見回す。そしてごまかすように咳払いをした。
 「……あー……それで、李典」
 「はい」
 「……体の調子はどうだ。大丈夫なのか」
 李典の方は見ず、ぶっきらぼうに曹仁が小声で問いかけた。その質問に李典はそっぽを向く。
 「お心遣いありがとうございます。ですが、昨日も申しましたように、大丈夫ですよ」
 「しかしな、大丈夫と言うが、昨日はしばらく起きれんかっただろう」
 「確かにそうですが、今日はこうして働けるのですからご安心ください。無理をしているように見えますか?」
 「いや……」
 それでも気がかりらしく、曹仁はちらちらと李典を見ていた。
 「無理だったら無理ですと言いますから。気遣ってくださるのはありがたいですが、仕事に集中なさってください。さあ、もう行きましょう」
 「お、おう」
 促して歩き出せば、何か言いたげではあったが後をついてきた。歩幅が違うのですぐに追いつかれる。それから歩調を合わせて並んで歩いて行く。
 「曹仁殿」
 「うん?」
 「今週もそちらに行って宜しいでしょうか?」
 視線は前に向けたまま、李典は何気ないように曹仁に言った。
 「…………ああ、構わんぞ」
 曹仁もこちらは見ずに答える。その返事を聞き、李典はそっと噛みしめるように笑みを零した。






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典さんが泊りに来たのは金曜日の夜。
帰ったのは日曜日です。
でもって曹操が言う『力を貸した』内容は暗転の最中で李典さんに発覚します。

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