真赤―まそほ―

賽は投げられた・其の壱



 「曹仁殿は自分で料理なさらないのですか」
 「あ?」
 それはとある日の昼食時だった。会社にある食堂で昼食をとっていた李典は、目の前で定食を平らげている最中の曹仁に問いかけた。
 「毎日食堂か外で食事を取っていますが、お弁当を作ってきたりはしないのですか?」
 ちなみに李典は弁当持参である。自分のデスクや休憩室で食べるのもつまらないし、何より曹仁と共にいたいので、一緒に食堂についてきたのだ。
 「朝っぱらからそんなものを作っている暇はないからなぁ」
 「何を言っているのですか。昨日のうちに仕込みをしておいて、朝少し早く起きて支度をすれば十分間に合います。自分が食べるのですから、そこまでこった内容にしなくともいいでしょう?
 そういう李典の弁当は玄米と白米を混ぜたご飯にブロッコリーと卵焼き、シメジと小松菜、ベーコンの炒め物。それと鶏の照り焼きである。
 「簡単に言うが、一人分の弁当だぞ。そんなせせこましいのを毎朝やるより、せっかくいい食堂が会社にあるんだ、利用した方がいいだろう」
 「まぁ、確かにそれも一理ありますが」
 「別に料理をしないわけじゃないぞ。三食全部外食じゃあ、さすがに体にも財布にも悪いしな」
 この会社の食堂はそれでも栄養価をしっかり考えたものを出すところだった。曹操がそういうところを気にして、人を雇ったのだ。能率の良い仕事をするには休憩や食事はしっかりとること、ならば会社もそれを取れる場所を整えるべきだというわけである。おかげで食堂は盛況している様子だ。弁当を持ってきている李典のような者の方が珍しい。
 「料理はなさるのですね。……でも、言っておいてなんですが、あまり貴方が料理するのを想像できないですね……」
 「お前な」
 「どんなものをよく作るのですか?」
 「んー……そんな手間暇かかるものは作れんからな。適当に切ってまとめて煮込めるものとか炒めるものとか、そういうのばかりだな」
 想像に難くない。
 「では、いわゆるどんぶり飯とか大皿料理とか、そういうものですか?一汁三菜ではなく一品料理とか」
 「悪いか」
 李典の問いかけに曹仁はぶすりとする。
 「そうですね、体のことを考えると、一つの料理だけを食べるのはあまり良いとは言えません。いくらいろんな食材が入っているとしても、料理が一つだけだと、たくさん種類があるよりも多く食べ過ぎてしまうんですよ。早食い、食べ過ぎになりがちです」
 付き合い始めてからまだひと月も経っていない。世間で言うならば初々しい頃なのだろうが、二人ともよい年であるし、大っぴらにできない関係である。しかし、共に昼食を取るくらいなら周りを気にするほどでもない。さすがに毎日では何を言われるか分かったものではないので気を付けている。が。
 「お前はそういうところは細かそうだな。いつも一汁三菜なのか?」
 「そういうわけではありませんが、なるべくいろんなものを作るようにはしてます。同じ材料でも調理方法を変えたりしてますし」
 「俺はそこまでやるのは面倒だ。性に合わん」
 「それでは将来、高血圧や糖尿病やメタボの心配がありますよ」
 現在の状況は、付き合い始める頃とほとんど変わっていない、と李典は思う。
 会社であれやこれやとするのはさすがに憚れるが、かと言って仕事が終わった後に何かするのかと言えば、そういうことはほとんどなかった。時折、一緒に飲みに行くが、それだけである。酒に関しては曹仁の方が圧倒的に強く、李典自身は仕事のために度を過ごすことをしないので、飲み終わればそれぞれの帰路に立ってしまう。
 はっきり言って、ただの仲の良い上司と部下の関係。
 こんな風にあれこれと曹仁と話をするのはいいのだが、李典としてはもう少し先に進みたいとも思っていた。
 せめて、お互いの部屋に行くぐらいには。
 曹操あたりに言わせればどこの学生だと突っ込まれかねないがおいておく。李典からすれば、そこまで進むだけでも至難の業らしい。何せ相手はこういうことに関してはかなり鈍い部類に入る曹仁だ。空気を読め、とか察しろ、というのは難しい。曹仁自身は付き合っている自覚はあるようだが、一緒にいて話しているだけで満足している節がある。で、あるからして。
 「……私が作ってあげましょうか」
 普通の話し声が届く範囲に人はいない。李典は曹仁にだけ聞こえるように言った。
 「なに?」
 「毎日とはいきませんけれど、私が作りましょうか、と言っているのです」
 こちらから行動を起こすことにした。告白した時といい、厄介な相手に惚れたものである。
 「お前がか?」
 「はい。曹仁殿の作る食事では先が心配ですし……」
 感情を表に出さないよう、平静な態度で李典は言う。断られはしない、と思う。だが、返ってきたのは李典が想像していたものとは全く違うものだった。
 「何を言っとる、馬鹿にするな」
 「え」
 「お前に心配されずとも自分の世話くらい自分でできるわ。それとも何か、俺の作る飯は栄養が偏っていそうなうえにまずそうとでも思っとるのか?」
 「そこまでは思ってませんが」
 「よし、分かった。今度俺のところにこい。手料理を食わせてやろうじゃないか」
 憤然と曹仁が言う。李典は思わず呆気にとられた。
 「俺だって作ろうと思えば作れるというのを見せてやる」
 「は、はぁ」
 予想外だった。本当は自分が曹仁のところへ行き、手料理を振舞おうと思っていたのだが。しかしどちらにせよ、曹仁の部屋へ行けるのだから、ある意味成功ではある。
 「いつがいい? 今日でもいいぞ。帰りに材料を買っていかにゃならんが」
 「あ、ええと、……それでは、今度の金曜日は、どうでしょう」
 「金曜日? ふむ、そうだな、別にいいぞ。よし、じゃあそれまでに作るものを決めて材料を揃えてやろう。金曜日を楽しみにしておけよ」
 そう言って曹仁は残りの定食を平らげた。そんな曹仁を眺めながら李典は一つため息をついた。



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典さん仁さんちへ行く。
典さんはまだ20代半ばなので、もっといちゃこらしたいと思っているんじゃないかなと。仁さんは30代後半にさしかかっており、いろいろ経験も積んでいるので意外とそっちの方向は落ち着いていそう。


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