真赤―まそほ―

芽吹き、綻び。其の一


 徐州も落ち着いてきたとある日のことだった。
 呂布がいつものように麾下の兵士達と共に調練から帰ってきた時、門のところで、何やら誰かが門番と話しこんでいるのを見かけた。最初は徐州の役人達の一人かと思ったが、しかと見てみれば、顔までは分からないが、着物は女の衣装だった。
 城内にいる兵の家族か。それはいいとして、何やら門番達が困っている様子だった。呂布は麾下の兵士達に指示をして、赤兎と共にそちらへ向かった。
 「おい」
 突如現れた見事な赤兎馬に門番達も女もぎょっとした。
 「こ、これは将軍! お戻りになられましたか!」
 門番は呂布を見上げて拱手する。呂布は鷹揚に頷くと、側の女に視線を向けた。頭から顔を隠すように布を被っている。身なりは貧相ではないが、良家の者、と言うほど豪奢でもない。至って平民と言える格好だった。
 「どうした、何か問題でもあったのか」
 「は、そ、それがこの娘が……」
 「あの、お名前は存じませぬが、将軍様、陳公台にあわせていただけませんでしょうか?」
 「陳宮?」
 声は、若い。だが、幼い、とも取れるし、年頃の、とも取れる、微妙な声の高さだった。だが、しっかりとした発音で、どことなく意志の強さが窺える。その娘は、陳公台────自分の軍師である、陳宮に会わせろと言う。
 「こら、娘。失礼だぞ。この方はこの徐州の牧、呂布将軍であらせられるぞ」
 門番が鋭く、だが密やかな声で娘を叱咤する。すると娘は驚いたように赤兎にまたがる呂布を見上げた。この反応は久しぶりな気がして、呂布は何となくむずがゆい気分になった。今の徐州に限らず、周辺諸国で呂布を知らぬ者はない。名乗らずとも、その姿を見ただけで皆、呂布だ、と分かるのだ。
 「これは大変失礼を致しました! 呂将軍とは知らず、ご無礼を」
 「構わん。それで、お前は何故陳宮に会いたいと言うのだ。陳宮は俺の軍師だが」
 呂布は赤兎から降りて娘の目の前に立った。娘は山のように背の高い呂布を改めて見上げ、一瞬ぽかん、とした後、さっと頭の布を取り払って両手を合わせ、頭を下げる。呂布は垣間見たその顔に既視感を覚えた。何かが記憶に触ったような、そんな感触だ。
 「はい、実は私は──────」
 「春(しゅん)!!」
 娘が名乗る前に、誰かが慌てて駆けてくる足音と、声がそれを遮った。呂布と娘と門番は、一斉に声の方向へ顔を向ける。そこにいたのは、まさに今話していた軍師本人だった。
 「陳宮」
 「父上!」
 呂布と娘が同時に声を上げ、次いで呂布は目を見開いて隣の娘に目をやった。
 「春、お前、いつこっちに!」
 「つい先ほどです、お久しぶりです、父上!」
 驚く陳宮に、娘は喜んで抱きついた。その背をさすりながら、ふと、こちらを見下ろしている呂布に陳宮は気がつく。
 「これは、呂布殿。お帰りなさいませ」
 すぐに娘の体を離し、拱手して頭を下げる。
 「ああ。ところで陳宮、その娘は、お前の娘なのか」
 「はい。陳春と申します。春、徐州の牧、私の主公の呂布殿だ、挨拶なさい」
 「はい」
 陳宮にそう促され、娘は今度は膝をつき、再び両手を合わせ頭を下げた。
 「陳公台が娘、春にございます。どうぞよろしくお願いいたします」
 「ああ」
 娘が立ち上がり、陳宮の一歩後ろへ下がる。そうやって側に立つと、どことなく似ている気がした。はっきりと似ている、とは言えないが、少し吊り上った目元や乱れのないきちんとした身作りは几帳面さを表して、なるほど親子だなと感じる。先ほどの既視感は、これのせいか、と呂布は納得した。
 「春、先ほどここへついたばかりだと言うのなら、母はどうした?」
 「一先ず宿を取って、そこでお婆様は待っています」
 「そうか、では仕事が終わったらそちらへ行くから、しばらく待っていなさい。あまり出歩くのではないよ」
 「分かっております」
 苦笑して言う陳宮に、娘は少し拗ねたように答えた。そして呂布たちに別れの挨拶をして、早々に去っていった。
 「……お前、娘がいたのか」
 その後ろ姿を見送りながら、呂布は隣にいた陳宮に声をかける。
 「はい。申しておりませんでしたでしょうか」
 「家族がいるようには見えなかったからな。おまけにお前からは女の気配もない。妻がいたからか」
 妻がいても妾や愛人を持つことは位の高い者だとよくあるが、もちろん妻以外に女を側に置かない者もいる。陳宮の場合、本当に女気が感じられなかったので、妻以外の女は持たない男なのだろうなと呂布は判断した。
 だが陳宮は、少し寂しそうな顔をして笑った。
 「いえ、妻はおりません。……かなり前に亡くなっておりまして」
 「………………」
 その言葉に、呂布は自然と自分の亡き妻を思い出す。
 「……娘がいると妻を思い出すから、新しい女は娶らんのか」
 「いえ、そういうわけではございません。単に再婚しようとも、女が欲しいとも思わないのですよ。娘からも自分のことは気にせず、早く新しい伴侶を見つけたらどうだとすら言われるのですが。性格は私に似ているようで気が強いことこの上ない」
 苦笑するその様は、特に何の気負いも感じられなかった。呂布はそれが不思議に思える。呂布自身は、娘と会うと、どうしても妻の揺を思い出し、辛くなる。だから、娘と極力会わないようにしているのだ。
 「……何と言うか、幼い頃に母を亡くしたせいか、実に独立独歩の強い娘に育ちまして。しっかり者なのは有難いのですが、そのせいであまり男と縁がなく、そちらの方で困っております」
 「変なところまでお前に似ているんだな」
 「……呂布殿。あえて申し上げますが、私は縁がないのではなく、あっても結婚しようという気がないだけです」
 「そうなのか」
 「そうです。妻を持ったとしても、寂しい想いばかりさせるでしょうし。ただでさえ、娘に構うことすらできないのですから」
 呂布は答えない。呂布自身は、娘を幼い頃はそれなりに構ってやっていたが、妻がふせってからは、まともに話した記憶がなかった。揺に似て穏やかで、花が好きな娘だった、と思う。そんな風に、不確かにしか答えられない。そしてそれについて、娘にすまないと思うより、揺に対して心苦しい想いに駆られる。呂布にとって娘は、己の血を引いた子というよりは、揺が産んだ娘であって、どこか遠い存在であった。娘を、妻を通してようやく認識するのだ。そして同時に、妻を克明に思い出させる存在でもあり、今の呂布にはどう接していいのか分からない。傷つけてはならない、泣かせてはいけない、とは思うけれど、それは妻が悲しむと思うからだ。
 「……娘は可愛いか」
 「………………」
 陳宮は呂布と彼の娘の関係について、ぼんやりとだが察している。彼に娘への愛情がない、と言うよりは、分からない、といった方が実に適切だ。あまりにも関わろうとしないから、なおさら相手が分からなくなる。かと言って、もっと話してみろ、と言っても今の呂布には大軍を一人で相手にするより困難なことだろう。しかし、このままでもいけないと思う。そしてふと、案を思いついた。
 「呂布殿、一つ、どうでしょうか」
 「何だ」
 「ご息女には侍女をつけておられるとはいえ、歳の近いご友人は少ないのでしょう。あまり他家とも交流をなさっておられないようですし」
 「………………」
 徐州にも名家はそれなりにある。配下の武将たちにも娘はいる。だが、呂布は何となく、娘を外へ出そうとはしなかった。それに、呂布の子と聞いて、大抵は粗相でもあったら大変だととにかく下手に出ることが多い。
 「私の娘はご息女より少しばかり年上ですが、丁度良い年頃だと思います。どうでしょう、ご息女の遊び相手としては」
 「お前の娘をか?」
 不意の提案に呂布は眉を上げる。確かに先ほど見た陳宮の娘は、呂布の娘とさして歳が離れていなかったようだった。受け答えも礼儀もきちんとしており、おそらくはどこに出しても恥ずかしくはないだろう。呂布にとっては不快でなければ畏まった礼儀はいらない。そして呂布は陳宮の娘に不快な印象は受けなかった。何も感じなかったと言う方が正しいが、陳宮の娘、と言うところが呂布には受け入れやすかった。
 娘には何不自由ない暮らしをさせているつもりだ。だが、これで良いのだろうか、と言う思いもある。揺はそういうことには気を配っており、友好関係は築いていた方が良いし、いつか良いところへ嫁がせたいと考えていた。
 陳宮は呂布の軍師だった。呂布は陳宮を嫌いではなかった。その娘なら揺も喜ぶのではないか。そう考えた。
 「……お前がそれがいいというならそうしろ」
 「……では、後ほど娘に伝えておきます。近いうちに館の方へお伺いさせますので」
 陳宮はどこか背を向けた言葉に苦笑する。だがそれを呂布に悟られないよう、顔の前で両手を合わせ答えた。
 「おう」
 話はそこで終わった。呂布は赤兎に跨り厩へ駆け、陳宮も執務室へと戻っていった。





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陳宮の娘さんの名前をどうしようか考えていた時に頭に浮かんだのか『春』でした。特に深い意味はないと言う(滅)二文字の名前の方が良いかなとも考えたのですが(三国関係の作品の女性は二文字の方が多いような)呼びやすいしこれでいきました。
呂布さんの娘さんは次で出てきますが、名前は『呂謡花』(りょ・ようか)です。呂布さんの奥さんと同じ読みで違う字。そして奥さんが花が好きだった、ということから。呂布さんは奥さんラブです。
でも、陳宮や陳春は『呂姫殿(様)』と呼びます。主の娘さんですので。
因みに、ここでの呂布さんと陳宮は『君想いて』の少し後の設定です。なので腹を割って話せる主従ではありますが、『親友』にはもうちょっとの位置。ましてやああいう関係ではまだげふがふ。
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