芽吹き、綻び。其の二
「呂将軍のご息女の?」
「そうだ。謡花殿という。歳は十三、控えめで穏やかな方だ。父親に似ずな」
その日の夜、陳宮は母親と娘の待つ宿へと足を運んだ。そこで娘に、城で呂布と話したことを告げる。父親の相変わらずの歯に衣着せぬ物の言い方に小さく笑って、娘の春ははい、と返事をした。
「分かりました。ですが、私はまだこちらに来たばかりで勝手が分かりませんが、それでも宜しいのでしょうか? 呂将軍なら然るべき名家のご息女をお呼び寄せできるでしょうに」
「構わん。お前なら三日とかからぬうちに下ヒの地理ぐらい把握できるだろう。どうせ、今日も私のところに来た後、探索して回ったのだろうからな」
春は目をそらす。図星だ。城へ来た時に注意したにも拘らず、春はやはり出歩いていたのだ。その様子を見て呆れたように嘆息しつつも、叱ることはしない。ちゃんと気がついているのだということを釘刺しておいたので、陳宮は今回はそれでよしとした。
「それに城下には呂布殿が出したがらぬし、ほとんど館での生活になるだろう。だからこその遊び相手だ。侍女にも若い者はおるが、ご息女とつりあうほど若いのはおらぬしな」
「外にも出したがらないなんて、将軍はご息女を大切に可愛がっていらっしゃるのですね」
「………………ともかく、お前と母の住む家は呂布殿の館の近くに借りてきた。明日からでもそちらに行きなさい。家のことが片付いたら役所へ来なさい。お前をご息女に紹介するから」
娘の言葉に陳宮はほんの僅かに目を伏せて、何事もないように言葉を続けた。
「はい、分かりました。……あの、父上」
「何だ」
「こう言っては失礼なのは重々承知なのですが、呂将軍は、お噂よりもあまり怖い方には見えませんでした」
「ほう」
「見た目は確かに威圧と威厳をかもし出しておられましたが、お言葉を交わしていると、お噂で聞く印象を受けなかったので……」
呂布の世間での噂は聞かずとも分かる。恩義を知らぬ裏切り者、粗野な乱暴者、ひとたび彼の怒りを買えば胴と頭が即座に離れる、戦うことしか頭にない狂児などなど。実際確かに戦うことしか頭にないし、養父を二人殺したのも事実だ。教養はある方とは言えず、怒りを買えば本当に首は刎ね落とされる。
だが、彼を形作る全てがそれらしかないわけではない。身内の者には甘いし、戦や調練がなければ、無益な殺生はしない。武に偏りすぎてはいるが、人との付き合い方が分からず苦手なだけで、それがうまく表現できない、不器用な男だ。
それは、戦場外で彼と策謀なく話せば意外と分かりやすい。特に女子供はそれに気がつきやすいようだった。陳宮の娘も、どうやらそれに当てはまるらしい。
「確かに、呂布殿は世間で言われるほど乱暴な方ではないよ。しかし、だからと言ってあまり親しげに話してはいけない。あの方は人付き合いがうまい方ではないからな。すぐに不機嫌になってしまう」
「承知しております。ご不興を買うことになれば、父上に申し訳が立ちません。気をつけて心に留めておきます」
「うん」
それから陳宮は、母と娘がここに来るまでの話を聞いたり、入り用のものはないかなどを話して、その日は終わった。
呂布の娘、呂謡花はぼんやりと東屋からあたりに咲く花を見ていた。
少し前、父親から袁術の息子との結婚を取り決めたと告げられた。突然の話に唖然となっている謡花をそのままに、呂布はその話だけを言うと、詳しいこと教えてくれず、雑談もせずにさっさと娘が住む離れから出て行ってしまった。少ししてから、呂布の軍師たる陳宮がやってきて、ことの詳細を話してくれたが、謡花はただ目を丸くしているだけだった。
女に生まれたからには、どこか良い人の妻となり、立派な子供を産むのが役割だ。十を過ぎた辺りから、世話になっていた家のおばから言われていたし、下ヒに来てからも、年長の侍女からいつかくるべき日のための花嫁修業を教えられていた。母親が生きていた頃は、将来は夫を支える良い妻となるのだと言われてはいたが、日々は至ってのんびりと穏やかな生活だった。
けれど、そう教えられていたと言っても、突然のことだったので、実感があまりにもなかった。ないけれど、周りはひそやかに、だが確実に輿入れの話が進んでいる。謡花だけぽつんと置いてけぼりをされてしまったような気分だった。
「………………」
顔も知らぬ男のもとへの嫁に行く。それは今の時代、当たり前にあることだけれど、やはり不安はある。侍女たちが様々な情報をどこからか仕入れてきて教えてはくれるが、想像がなかなかつかない。謡花はぼんやりと、少女らしく、優しい人だといいな、とか、見目の良い人だといいな、とか思っていたりもした。そう考えているのも、どことなく他人事のような気分だった。
それよりも。
「………………」
ため息をついた。
謡花にとって、輿入れよりも気分を重くするものがあった。それは、己の父親の呂布のことだった。
先だっても、父親はほとんど謡花と目を合わせず、話すことも端的で簡潔、久しぶり会ったのにすぐに帰る始末だった。
父親は、母親が亡くなって変わってしまった。と思う。幼い頃は、忙しいとはいえ、家に帰ってくれば遊んでくれた。父親に摘んできた花を渡せば受け取ってくれたし、歌を歌っていれば、その側で聞いてくれていた。抱き上げて散歩をしてくれることもあったし、言葉を交わすことは少なかったが、それでもかまってくれていた。だが。
母親がいつの日からか寝込むようになると、父親は母親以外とほとんど話をしなくなってしまった。家にいる時はずっと母親の側から離れず、看病をしていた。それは夫婦としては良い姿だけれど、あの頃の謡花にとっては、寂しいものだった。母親は寝込んで心配であったし、父親は己を見ようともしない。二人とも、己を忘れてしまったかのようで、酷く寂しかったのだ。
母親が亡くなると、父親はどこかへ行ってしまった。謡花を守る従者によれば、自身の隊を率いて原野へ行ってしまったという。幼い謡花には意味がよく分からなかったが、己が父親に置いていかれたと言うことは分かった。それから、この下ヒに来るまで父親と会うことはなかった。そして久しぶりに会ったというにも拘らず、ただ、この館に住めと、侍女を三人付けると、それだけ言って出て行ってしまった。結婚の話をしに来たのが、ここに来て二度目の会話だった。
父親は、己のことをどう思っているのだろうと謡花は考える。会ってくれないし会話もしてくれないが、嫌っているわけではない、と思う。侍女たちもそう言っているが、それでもわだかまりがある。母親以外の女性が父親の側にいることも聞いていた。あれほど母親を熱心に愛していた父親が。しばらく会わないうちに。
母親はもう亡くなっている。だから、別の誰かが父親の側にいたとしてもおかしくはないけれど、だからと言って、簡単に受け入れることは謡花にはできない。
己を見なくなり、母以外の他の女性を側に置く父親。感情が渦巻いて大人ではない謡花には日々もてあますことこの上なかった。それでも、父親を嫌うことができない。いっそ、父親が、己をもっと邪険に扱いさえすれば、己も父親を嫌えるのにと思うこともあった。
はっきりとできない心に鬱々としていたところに結婚話。更に混迷を極める。どうしていいか分からず、ただぼんやりとするしかなかった。結婚相手のことを考えるのは一種の逃避なのかもしれない。
「呂姫様」
侍女の声に、謡花は我に返る。見れば、侍女がこちらへ誰かと一緒に歩いてきていた。一人は知っている。軍師の陳宮だ。謡花が会う数少ない男性の一人だった。父親の呂布の策士として仕えている。いつも付けている赤い羽根飾りがひらひらと揺れていた。その後ろにもう一人。
「………………?」
首を傾げつつ立ち上がると、侍女と陳宮と、その後ろにいた謡花とさほど歳が変わらないように見える娘が両手を合わせ礼をする。
「呂姫様、陳将軍がお話があるとのことでお連れいたしました」
「はい、有難う。陳将軍、何のご用でしょうか?」
陳宮は笑顔で挨拶をしてから後ろにいた娘を促した。どうでもいい話だが、陳宮は巷では滅多に笑わない人物らしい。笑ったとしても傲岸不遜のようで、一部の呂布の臣下にすこぶる評判が悪いとか。だが、謡花の知る陳宮は大抵にこやかで、侍女の持ってくる噂話には首をひねる思いだった。
それはさておき。
「呂姫殿、こちらは私の娘、陳春にございます。先日、親類の元から私の元へとやってきたのですが、まだ日が浅いゆえ、親しい者もおりませぬ。どうでしょうか、お歳も近いことですし、呂姫殿の話し相手として招いてはいただけませぬか」
「え? 話し相手? ……ですが、お父様が……」
不意の申し出に謡花は戸惑う。こちらに来てから、謡花は滅多に館の外には出れず、出たとしてもどこかの家に遊びに行く、ということはない。呂布があまり他家との交流をしないからだ。
「お父上には了解も得ております。呂姫殿がお嫌であれば無理にとは申しませぬが」
「………………」
その言葉に、複雑な気分になった。見向きもしない父親が、親しい友人もいない己に、初めて他家の娘との交流を持たせてくれた。だが、そのことくらい、父親自身が伝えてくれてもいいだろうに、と思う。
「……いえ、お父様の薦めにどうして私が異を唱えましょう。是非に歓迎いたします」
「有難いお言葉です。さぁ、春、ご挨拶なさい」
「はい」
改めて礼をとる陳宮の娘は、身なりも小奇麗に整っており、華美なところはなく、さっぱりとした印象を受けた。
「陳公台が娘、春と申します。どうぞ、宜しくお願い申し上げます」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
其の三へ
北方版では呂布さん視点で語られているので、娘さんはどんな感じだったのかは想像の域を出ないのですが、呂布さんが奥さんラブなのはいいとしても、娘さんからしたら、呂布さんの態度はかなりひどいんじゃないかなーと。とはいえ、あの時代なら娘と父親はそう近しい感じじゃないのも多そうです。奥さん、お妾さんだけじゃなく外に愛人もいる人はいただろうしなー男性陣は。
同じ館に住んでいると思うのですが、それなりに広いし、離れて暮らしているので会おうとしない限り滅多に会わないんでしょうけれど、年頃の娘さんからしたら、いきなりできたお妾さんは微妙な気分だと思います。時代が時代だとしても(汗)李姫さんは良い人なんですけれども。
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