星影さやかに
(なんでだ…)
竹千代は一人、浜松城の天守でゴロリと仰向けに転がっていた。
「タダカ…」
思わずその名を口にしかけた自分に気付き、慌てて唇をキュッと引き結ぶ。そして、そっと身を起こしキョロキョロと周囲を見回してみた。誰も居ないと解っていると云うのに。
今、本多忠勝は傍にいない。
「ワシはひとりでも大丈夫だ!寂しい、なんてことは…ねぇぞ…」
口を衝く言葉が強がりでしかない事は自覚している。それでも言わずにはいられない。自戒する為に、感情に流されそうになる己を鼓舞する為に。
「おめぇは呼んだらすぐ飛んでくるからな。ワシが傍にいれば休む暇もねぇ。それに…誰かと過ごしたい日もあるだろうし」
それなのに、涙がじわりと視界を歪ませる。急に心細くなり、小さくなって膝を抱えた。無理矢理に一日暇を取らせたのは自分自身。戸惑うように小さく唸った機械音を思い出し、チクリと胸が痛む。
『本多殿は榊原殿と出掛けられましたが…。あぁ、あの二人、実は仲が良いのですよ』
『お二方共、夕刻には戻ると仰ってましたのでご安心くださいませ、竹千代様』
朝から影すら見ていないからと、酒井忠次や井伊直政らに聞いてみればそんな答えが返ってきた。皆一様に本人たちから“聞いた”のだと言って、優しい笑みを浮かべる。だからそれ以上は聞けなかった。
眼前に広がる空には、金色の光が眩いばかりに溢れている。
まだ二人は戻っていない。
「しっかし、なんでワシにはなにも言わず」
自分が一番側にいるはずなのに、何も聞かされていなかった。
言葉を交わさずとも互いに心を通わせられる。それは主従を越えた強い絆があるからこそ出来る事なのだと思っていた。
“徳川家康”は“本多忠勝”にとって今まで数多存在した“徳川家当主の一人”でしかないのか。
ふと浮かんだ疑問。
その答えは二つに一つ。
(もしそれが“肯”だったら…)
足を抱える腕に自然と力がこもる。
ひどい息苦しさを感じて顔を上げた時、浜松の空に静寂を切り裂く轟音が響いた。聞き間違い様のないその音が本多忠勝の帰還を報せる。
目元を拭い、ゆっくりと立ち上がった竹千代は城門へ向かった。本多忠勝を出迎える為に。それは条件反射に近く、深い意味などない。
どんな時であれ、本多忠勝の帰還を迎えるのが徳川家当主の務めだと竹千代は自らに課していた。
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