緩やかな言葉
「おい、徐晃」
「何でしょうか」
「この状況を説明しろ」
曹洪は思い切り眉間に皺を入れたまま、目の前の男を睨み付けた。睨み付けられている徐晃の表情は相変わらず小揺るぎもせず、平坦な色しか見せていない。その表情に曹洪は毒づきたくなる。いつも冷めた顔をしおって。もっともそれは、徐晃が何かをする前に曹洪の方が派手に感情を表してしまうため、流れとして徐晃が抑えに回らねばならないのが一因なのだが、曹洪本人は気がついていない。
「説明しろ、と言われましても」
徐晃はやはり平坦な色の表情のままだ。
「見たままのとおりだと思いますが」
「だからどうしてこうなったのか、いや、こんなことをするのか説明しろと言っとるんだ!!」
────曹洪は。
徐晃に押し倒されていた。
徐晃は元々楊奉の配下だったが途中、曹操に認められその配下になった。それでも今は古株に分けられるだろうし、曹操の信も篤い武将だ。立場としては曹洪の方が上になるが、同じ曹操配下として付き合いは悪くない。
だが。
いつ頃からか微妙にその付き合いが変わってきていた。どういう心境の変化か、はたまた最初からだったのかは定かでないのだが、徐晃は曹洪が思っていた以上に曹洪に好意を持っている、らしい。気がつけばじっと見つめられている時もあれば無闇矢鱈に引っ付いてくることもあった。曹洪にとっては正直、鬱陶しいことこの上なかった。そんな行動に加え表情が豊かでない分読めなくて、はっきり言って不気味である。
しかし、表情とは裏腹に発する言葉は想いの外、素直で時折さらりと『好きですよ』と言ったりもするのだ。初めて言われた時、曹洪は大層面を食らったが、友愛の言葉と取って、『恥ずかしいことを言う奴だ』と苦い顔をしながら返した。しかしどうやら徐晃にとっては友愛の範囲の言葉ではなかったらしく。
薄々、何となく、もしかして、とは曹洪自身も感じていた。言葉にはしないが必要以上にひっついてくる男に、それとない危機感を覚えてもいたのだ。だが、まさか、と言う気持ちの方が強かった。
曹洪は徐晃を嫌ってはいない。共に戦う者としては頼りになる存在だと思っているし、武将としても立派な男だと認めている。が、それ以外はどうにも理解できなくて、不可解な相手だった。嫌ってはいないけれども、つい気の短さが出て邪険に扱ってしまう。それでも徐晃は気を悪くする様子もなくひっついてくるのだ。会えばそんな態度なものだから、曹洪も次第に慣れてしまってくる。
けれど、どちらかというと武功以外は無欲のような男が好意を口にするのも珍しいし、くっついてくるだけでなく、そっと手で触れてくることもあった。その触れ方が妙に慎重で、同性同士の荒っぽい気安さがない。ここ最近では、こめかみやら額やら指先にさりげなく口付けられた、気がした。流石に曹洪も驚いて、だが、はっきりとしたものでなかったので、何をどうすることもできずあやふやになり、それでも距離を置くようになった。
それが転機だったのかもしれない。
「────我慢の限界がきてしまった、というところでしょうか」
「何?」
こんな状況に置いても徐晃の表情は変わらず、口調も淡々としている。だが、押さえつける腕の強さはそれと間逆で、どんなに力を入れようとも外れない。
「ここしばらく、洪将軍とは顔をあわせておりませんでしたし、将軍には少し、敬遠されてしまったようですから」
「………………」
仕事の関係で、顔をあわせるどころか、姿すら見かけないということもある。昨日まで曹洪は近くの町の視察に行っていた。曹洪にとっては丁度良かったのだが、徐晃にとってはそうでもなく。
そして今日、久々に会ったのだが、曹洪は徐晃を警戒していた。その微妙な緊張感に徐晃が気がつかないはずもなく、だが、二人とも表面上は特に何の問題もないように、仕事の話をすることにした。部屋に二人きりという状況だが、下手に意識するものじゃないと曹洪は思いながら、とにかく仕事に集中しようとしていた。そんな中、座って一つの竹簡を見ていた徐晃が、その中の文面を指差して曹洪に話しかけた。曹洪はしっかり集中していたのか、少し油断していたのか、ひょいとそちらへ身を乗り出して竹簡を覗き込んだのだ。自然、顔が近くなる。
そこで、ぷつんと、何かが徐晃の中で途切れた。
「気がついたら押し倒していました」
「何だそれは!!」
顔にはまったく出ていないが、どうやら徐晃自身もこの状況に驚いているようだった。
「本当はまだこんなことをするつもりはなかったのですが」
「まだとは何だまだとは」
「言葉のとおりです」
いたって平坦に徐晃は答える。言葉の意味を判らないわけではない曹洪は、顔をしかめた。何とかこの状況から逃れようと先ほどから腕に力を入れているのだが、やはり戒めは解けない。腹立たしいことに、純粋な腕力では、曹洪より徐晃の方が上だった。曹洪の得手は薙刀だが、徐晃は大斧である。曹洪は弓も得意で、胸筋も鍛えられているが、徐晃はそれよりも大斧を己の手足のように扱う。
「……気は確かか」
「怒った洪将軍よりは冷静です。……そんな顔しないでくだされ」
苦虫を噛み潰したような表情の曹洪に徐晃が言う。厭味で言ったのではないようだった。
「とはいえ」
不意に徐晃は曹洪の腕を解放し、上体を起こした。
「無理強いをするつもりはありません」
「………………」
覆い被さっていた体が離れ、視界から徐晃が離れても、しばらく曹洪は起きなかったが、ようやく、探るように身を起こす。何となしに、赤くなってしまっていた手首をさすりながら、目の前に腰を下ろしている徐晃を見た。徐晃は感情の見えない視線をこちらに向けている。
「どういうつもりだ」
「特には。ただ、無理強いをして貴方に嫌われたくはないので」
「……元々好いてなぞおらんぞ」
「酷いですな、洪将軍。私は好いておりますよ」
「………………そうらしいな」
盛大なため息をついた。
徐晃は曹洪に手を出さないが、側を離れようとはしなかった。曹洪もまた、何故かその場から立ち去ろうという気が起きなかった。というよりは、酷く疲れた気がするのだ。押し倒されたのはものの短時間で、その間に何をされたわけでもないのだが。
徐晃の好意は今まで鬱陶しいほど存分に示されていた。それが仲間意識を超えるものだというのは思わなかった、というよりは気づかぬ振りをしていた。鬱陶しくはあったが、それほど悪い気もしなかったのだ。これが特に何とも思っていなかったり、嫌悪する相手ならば、すさまじく迷惑この上ないものなのだが、曹洪は徐晃のそれを邪険にするものの、慣れがあったとはいえ、受け入れつつあったのだ。
その自分に気がついて、曹洪はうんざりする。
「わしはお前を好いてはおらんぞ」
「はい」
繰り返して言う。嘘ではない。
「……何だって、わしなのだ」
「………………さて」
「おい」
またため息をついて、目元に手を当てて問い掛けると、僅かの間のあと、首を傾げる声が聞こえた。それに苛立ちを覚えて声が低くなる。
「あれほど人にひっついておきながら、こんなことをしておきながら、『さて』、とは何だ『さて』とは」
「明確な理由が思い当たりません故に」
「何だそれは」
指の間から睨み付ける。すると徐晃が手を伸ばして、目元を覆う手に触れてきた。やはり、慎重である。徐晃は振り払われないと判断したらしく、曹洪の手を取った。お互い、戦をし、人を殺し続けた厚ぼったい手だ。女のように柔らかくない。
「いい歳なので、歯の浮くような夢物語を語る気は毛頭ございませんが」
「………………」
「まぁ、何と申しましょうか。惚れるのに何らかの理由や要因がなければいけない、ということはないわけですよ」
今の時代、恋愛感情などなくとも結婚をし、子供をなす夫婦は五万といる。もちろん、真に愛し合う夫婦や恋人同士もいる。だがそれは、確かな理由があって相手に好意をもったわけではないことも多い。
「ましてや洪将軍は女ではありませんしな」
「……だからこそ、何らかの理由があるものだと思うがな。男が女に惚れるのは当たり前だが、同性に、……そういう好意を持つのはおかしいだろうが」
「そうかもしれませんが、私はそうではなかっただけですよ」
曹洪の中にある葛藤を知らぬように、徐晃は取った手に指を絡ませている。軽く、曹洪の指の背を根元からそっとなぜる。指先を柔らかく掴み、それから包み込むように触れると、今度は親指でさらりと手の平をなぜた。
「………………ッ」
眉間に皺が寄る。戯れるような手の動きに、皮膚が僅かに粟立った。
「洪将軍」
「……何だ」
見え隠れする気持ちの機微を覆い隠すように苛立った声になった。徐晃は曹洪の手を取ってはいるが、力はほとんど入れていない。
「先ほどの続きをしても良いですか」
「断る」
即答した。
「……洪将軍」
「うるさい、寄るな、触るな、ひっつくな」
徐晃は身を寄せる。曹洪はうつむいて顔を上げず視線も向けない。手は取られたままである。
「………………洪将軍」
静かな声だった。間近に聞こえる。うつむく曹洪の視界に徐晃の腿が入り込んでいる。すぐ側に体温を感じた。人の体温というものは、好んだ者であればとても心地良く、嫌った者であれば酷く気色の悪いものだ。曹洪は何故、今、お互い鎧を身についけていないのか、悔しく思った。無骨な鎧を着ていれば、こんな。
けしてそういう意味で好いてはいない。そういう気持ちなどない。だからこれは、ただの気の迷いである、はずだ。あるはずなのだ。男は女よりもそういうことに直接的で、更にこの男がそれとなく煽るせいだ。己のせいではない。
「………………」
うつむいたまま、身じろぎもしない曹洪の首筋を眺めながら徐晃は首を傾げる。
「………………ろ」
「洪将軍?」
不意に聞こえた声に徐晃は問い掛けた。曹洪の肩が震えている。そしてやおら、胸倉を掴まれる。
「一発、殴らせろ、徐晃」
少し垂れ気味の目をつり上がらせて曹洪は徐晃の胸倉を掴んだまま、頭突きをする勢いで顔を寄せ、物騒な言葉を吐いた。
「………………何故、と聞いて宜しいですか」
「何故も何もなにわ! ただお前を殴らんとわしの気がすまんのだ!」
「理不尽な」
「やかましい!」
「……一発くらいなら構いませんが」
突然怒り狂う曹洪の、胸倉を掴む手に触れる。両手で、指を一本一本はがすように促すと、最初は抵抗したが、次第に離れていく。
「明日の朝で宜しいでしょうか」
顔を近づけそう言う。暗に遠まわしな言い方をするのは曹洪を気遣ってだろうか。だが、
「するならさっさとしろ! わしは女ではないんだ、妙な気遣いなんぞやめんか、気色悪い!!」
「いや、男だからこそ色々気を遣わないとまずいと思うのですが」
怒鳴る曹洪の言葉に冷静に指摘を入れるが、火に油を注ぐようなものである。
「いちいちうるさいわ! せんのならわしは今すぐお前を殴って帰る!!」
それは困る。とばかりに徐晃は曹洪の腰に腕を回した。体が密着し、とたん、曹洪が大人しくなった。
「洪将軍が良いと言うのなら」
「………………」
「本当に宜しいですか?」
「………………くどい」
再びうつむいて顔を見せない。怒りと苛立ちと、僅かなためらいが滲む声。
「だが、後で殴らせろ」
「はい、構いません」
それでこの手を繋ぎ止めることができるなら、安いものである。それに、明日、殴る気力があるかどうか。
徐晃は少し体を離し、それからうつむく曹洪の前髪の生え際あたりに口付けを落とした。こめかみ辺りにも落とすと、顔をあげさせる。酷く苦い顔をした曹洪がいた。そんなことをいちいちするな、と毒づく。そう言うところが曹洪らしいと内心思いながら口付けた。
了
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書き直したよ!私はやったよ!!
しかし何と言うか、徐晃さんは曹洪さんに弱いようで弱くないような感じに。いややっぱり弱いか。こう、曹洪さんの方が悪いかのように追い詰めるような言葉攻めはやらないと思います。むしろお前のせいだー!と罵られつつ、それをさらっと受け入れながら、曹洪さん自身がさほどの抵抗なく受け入れてしまうような言葉攻めをするような。
〜ですよね、とか、〜宜しいですか、と伺いたて、曹洪さんの自尊心を傷つけないように認めさせてしまう感じ?別に計算しているわけじゃなく、曹洪さん相手に鬼畜に攻める気はないだけで。ひたすら可愛いなぁと思ってりゃいいよ。
いい感じに腐敗しきってますね私。
もう駄目だ。
強制終了くらった時に一人で絵茶に篭って描いたもの。
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