真赤―まそほ―

春、うららかに





 今日は天気が良かった。
 野山には緑が茂り、花が咲き、川には清き水が流れ土地を潤す。空気は柔らかで暖かく、日差しの落ち着く昼過ぎは仕事を終えれば一眠りしたくなるような陽気だった。

 ところで、許チョは困っていた。
 今日のような日は、見晴らしの良いところでの食事は格別だろうと、仕事の合間の休息時間に城の楼上でよさげな場所を見つけて、好物を山ほど抱えて腰を落ち着けた。肉まんを頬張りながらのどかな光景に目を和ませる。許チョは農民の出で目が良い。そして仕事柄、ぼんやりと眺めているがおかしな動きをするものを見つければ、すぐに反応するようになっていた。行動も口調ものんびりだが、こと、己に課せられた使命ならば虎のようになる。
 そんな許チョが今は非常に困っていた。
 のどかさにつられてやってきた鳥たちに、自分の食事を少し分けてやっていると、下の方から音がした。
 「あれぇ、曹操さまぁ?」
 「おお、やはり許チョか」
 現れたのは許チョが仕えている主公の曹操だった。立とうとする許チョを手で制して、曹操も気安げに許チョの側に腰を落ち着けた。この主公は、常日頃から威風堂々で見るからに威厳を持っており、近づきがたい空気をしているのだが、時折、驚くほど気安げになる。特に血縁たる従兄弟たちの前や、身辺を任せる護衛たちの前ではそうだ。そして許チョはその護衛の一人である。
 「うむ、実に見晴らしが良いな。さすがお前が見つけた場所だ」
 「曹操さま、お仕事は終わったんだか? お昼はもう食べたんかぁ?」
 「いや、実はまだだ。貰っても良いか?」
 「おいらので良かったらどうぞだよ〜。曹操さまの口に合うと良いけど」
 新しい蒸籠を開けてまだあたたかな肉まんを曹操に渡す。
 「お前が食べるものに不味いものはなかろう」
 それに曹操はそれほど食べ物に対して贅沢な拘りはなかった。実際、許チョは大食家であるが舌は確かで、自分で料理も作り、それは周りの兵士達にもすこぶる好評なのだ。
 許チョは他にも持ってきた料理を曹操が食べやすいように並べ、白湯も用意する。
 「お茶も持ってくればよかっただなぁ」
 「お前、茶はあまり好かんのだろう。だったら構わん。ほれ、お前も食べろ。お前のだろうが。食べんとわしが食べるぞ」
 「あ、駄目だよぉ」
 言われて許チョは再び食べだした。それから曹操と他愛のない話をする。食べ物の話に始まり、最近見た出来事、親しい者の話、街の噂や兵士達のこと。郷の話もする。偶然二人は、同じ国の出だった。
 心地よい風と穏やかな日差し。軽やかな鳥達の声に遠くに聞こえる調練の音。
 食べ終わると曹操は、うんと伸びをして首を回す。
 「曹操さま、疲れているだかぁ? ずーっと執務室に篭っていたから肩凝っただか?」
 「ああ、だから室内で食う気にもなれんで、そんなとき、お前を見かけてな。こういうとこでたまに食べると格別なものだな」
 「だろぉ?」
 「ついでにこの陽気だと昼寝もしたくなる」
 「うん、分かるだぁ」
 「よし、許チョ。しばし動くな」
 言うと、曹操は壁に背を預けていた許チョの前に移動して腰を下ろす。許チョは非常に恰幅が良く、曹操はどちらかと言えば小柄なので、やすやすと懐に納まった。曹操は許チョの腹を背もたれ代わりにした。
 「曹操さまぁ、こんなところで昼寝すんのかぁ?」
 「戻るのも億劫だ。ふむ、なかなか寝心地が良いな」
 筋肉の上に心持ち多めの脂肪がのっている体は、柔らかさの下に程よく硬さがあるため思いのほか感触が良い。おまけに、ふくふくとした子供のような体の温かさが、陽気と相まってとろりと睡魔を呼び寄せる。
 「少し寝る。ある程度したら起こせ、許チョ」
 「分かっただよぅ」
 そう言うと曹操は、本当に寝息を立て始めた。
 ────だがしかし、本人が言ったにも関わらず、許チョがそろそろ戻らねばならない時間だと起こそうとしたのだが、一向に目を覚ます気配がなく、許チョは困り果て、現在に至る。




 揺すっても声をかけても目を覚まさず、許チョは途方に暮れていた。しかし、珍しく穏やかに寝ている曹操を見ていると、普段の眉間に皺を入れたまま休息を取っている姿を思い出して、もう少し寝かせてあげようかと言う気にもなった。そんなとき、下の方から聞きなれた声が聞こえてきた。
 「殿ー! どこですかー!」
 「孟徳、どこに行ったー! 隠れていないで出でこーい!」
 それは同僚の典韋と、曹操の従兄弟たる将軍の夏侯惇だった。



 「あいつめ、飯を食ってくると言ったきり戻ってこないだと? 堂々と午後の仕事をさぼりおって、どこで何をしているんだ」
 「すいやせん、将軍」
 「お前が謝ることじゃないだろう。ふらふらといなくなるあいつが悪い。孟徳! 出てこんかー!! ……ちっ、どこへ行ったんだ」
 曹操の気まぐれにいつも振り回されている夏侯惇は、いらいらと歯噛みしながら辺りを睨み付ける。仕事に関しては心配するところはないのだが、時に思いも寄らない行動を取るのでその対処に困るのだ。更には一応アレでもこの軍の総大将だ。一人でふらふらとされては堪ったものではない。周りからはこっそりと心配性だとかまるで母親のようだ、と言われている夏侯惇だが、荒々しい気性と同時に持つ世話焼きな一面が、幼少より付き合いのある相手を放っておけないでいる。むしろ、幼少より知っているからこそ、その奔放さに頭を抱えるのだ。
 「門番からは誰も外に出ていないと聞いているんで、遠駆けに出たって事はありませんな。城下にも出てない様子ですから、多分まだ城内にいるはずですぜ。……それと」
 「それと?」
 「許チョの奴も、昼に行ったっきり戻ってこないでさぁ。だから多分、殿と一緒なんじゃないかと」
 「……なるほどな。そうだとしたら一応は安心だが……戻ってこんことには仕事が進まん」
 「ごもっともで」
 肩を怒らせ足を踏み鳴らして歩く後ろ姿に典韋は苦笑する。と、
 「典韋〜〜〜」
 遠くから名を呼ぶ声が聞こえてきた。二人は辺りを首を回して見回すが、誰もいない。
 「典韋〜〜、惇将軍〜〜〜上〜、上だよぉ〜〜」
 「上?」
 同時に上を見上げれば、楼上から手を振る許チョの姿が見えた。




 「………………………………それで、こいつは未だに眠りこけていると、そういうわけか」
 上がってきた夏侯惇と典韋が見たのは、許チョの体に無防備にもたれかかり眠っている曹操の姿だった。許チョは寝ている曹操を気遣ってずっと同じ体制でいたため、少し疲れてきているようだった。
 「多分、すごく疲れてんだと思うんだぁ。おいらが起こそうとしても全然起きないんだもんなぁ」
 「許チョがいるから、こんなふうに気兼ねなく安心して寝てんでしょうな。いやはや、取り合えず見つかって良かった」
 「良くはない! おい、孟徳、いい加減に起きんか!!」
 言うや否や、夏侯惇は許チョの腹の上ですいよすいよと寝こける曹操の耳を引っつかみ、思い切り引っ張りあげてその間近で怒鳴りつけた。側にいた許チョがあまりの大きさに驚いて反射的に耳をふさいだほどだ。すると、
 「………………うるさいぞ、お前のそのがなり声は耳につく……」
 のそり、と曹操がようやく体を起こした。
 「あ、曹操さま、目ぇ、覚めただか?」
 「ああ、そこのやかましい男のせいでな。しかしよく寝た。こんなに熟睡したのは久しぶりだな」
 「ここのところ忙しかったから、疲れが溜まってたんだよぉ、でも良く眠れたんなら良かっただなぁ」
 「うむ。これからは眠れん時は許チョの腹の上で眠るとするか」
 「そいつは良い考えですな、殿」
 和やかな会話をする三人に夏侯惇は眉間に盛大に皺を刻み込んで拳を震わせる。
 「のんびりと会話している場合か、お前ら……とっくに日は傾きかけとるんだぞ! 孟徳!!」
 「おお、そんな時間か。……しかしこれから仕事をするのも億劫だのう」
 「自業自得だろうが」
 吐き捨てるように毒づく夏侯惇を横目に、曹操は立ち上がった。許チョも固まってしまった体をほぐし、持ってきていた食器類をまとめて包みにしまう。そろって楼上から降りると、曹操は伸びをした。
 「よし、悪来」
 「へい」
 不意に側にいた典韋を呼ぶ。何事だろうと典韋が身を乗り出せば、
 「ちとしゃがめ」
 「へ? へい」
 何をするのだろうと疑問に思いながらも典韋はしゃがむ。すると、曹操がその逞しい背にしがみつき、足を典韋の肩にかけた。その動きで、曹操が肩車をしようとしていることに気がついた典韋は、笑みを零しながら曹操の乗りやすいようにもっと身をかがめ、足を掴む。
 けれど、何故肩車。
 そこにいた、曹操以外の3人が首を傾げる。
 「殿、立っても宜しいでしょうか?」
 「おう」
 体制が整ったのを感じ取り、典韋は逞しい体を、曹操ごと起こした。曹操は典韋の頭と肩に手を置き、落ちないように体を支える。先ほどの楼上ではないが、見晴らしは良い。自分より背の高い三人の頭がずっと下にあって、内心曹操はこっそりと喜んでいたりした。
 そして。
 「悪来! 走れ!」
 「えっ?! へ、へいっ!!」
 いきなり頭を叩かれ、曹操の声が上がる。一瞬何事だ、と判断が飛んでしまったが、すぐに持ち直し、典韋はほとんど反射的に曹操の足を掴んだまま走り出した。
 「……………………って、おいこらまて! 孟徳、典韋!!」
 唖然としていた夏侯惇だが、すぐに立て直し、走り去るその後ろ姿に声を叩き付けた。典韋はちらりと後ろを見て足を止めようとしたが、曹操は再び典韋の頭を叩く。
 「止まるな典韋! そのまま全速力で夏侯惇から逃げろ!」
 その明らかな示唆は当然夏侯惇の耳にも届いて、あっという間に第二次爆発が引き起こされる。
 「孟徳!! 貴様と言う奴はー!!! 典韋、止まらんかぁー!!!」
 「す、すいやせん、夏侯惇将軍! 殿の命令には逆らえませんでさぁ!」
 「はっはっは、ではな、夏侯惇!」
 ひらひらと手を振り、意気揚々と去るその後ろ姿はなお夏侯惇の怒りを誘う。許チョは唖然とそれを見送った。
 「……そんなに怒らなくても、多分、曹操さまはちゃんとお仕事やるんでねぇかぁ? 惇将軍」
 「人が良すぎるぞ、許チョ、あいつは人をからかうためなら全力で、それこそ仕事に向けるよりもいそしんでやるからな!」
 ぎりぎりと眦を吊り上げながら夏侯惇は怒りを堪えつつ許チョに言った。その言葉は妙に説得力があり、許チョも言葉が次げない。そして不意に肩を怒らせたまま歩き出した夏侯惇に首を傾げる。
 「どこ行くだぁ?」
 「知れたこと、執務室に戻る」
 「お仕事しにだか?」
 「そうだ」
 答える夏侯惇の後ろ姿に、許チョは何のからかいも含まず(そもそもそういう考えが浮かばない)、ただただ純粋に、ひたすらにそう思って、
 「惇将軍は、良い人だなぁ」
 と言った。
 当然の如く、第三次爆発が起きたのは言うまでもない。









許チョの腹によしかかり無防備に寝る曹操と、それを呆れたように、面白そうに、和やかに見る三人、と言う構図が浮かんで今回の話になりました。
因みにこの後、通りかかった淵さんが俺も手伝うからと惇兄さんを何とか宥めて事なきを得ると言う展開に。そして執務室へ戻れば先に戻っていた曹操がさっさと仕事を終わらせて、遅いぞ夏侯惇とか言うので(人をからかうために全力でやった)、再び惇兄さんが爆発すると言うオチが待っています。
淵さんと許チョが後で惇兄さんの愚痴の付き合いをしました。
惇兄さんは曹操のお母さん的立ち位置が一番しっくりくる。そしていたずら盛りの息子曹操。
某方曰く『ジ○リ』ですが、ま さ に そ の と お り。ト○ロだ○トロ!

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