色彩
「……以上が現在の兵数と編成になります。調練は張飛殿達が既存の兵に並ぶほどに鍛え始めております」
「そうか。張り切りすぎて、あまり無茶をやりすぎないように言っておいたほうが良さそうだなぁ」
それぞれの持ち場でそれぞれの仕事に勤しむ兵達の間を、劉備と孔明は歩いていた。歩きながらも孔明は幾本もの竹簡を抱えつつ、一つ一つ捌き、劉備はそれを聞き、指示を出しながら周りの兵達を眺めている。
蜀という、劉備達にとってようやく地盤となる土地を手に入れ、誰も彼もが忙しない。だが、
「……殿、何を食べておいでですか」
「向こうの林になってた木の実。ちょうど熟れ頃だったから幾つか採ってきたんだ。甘いぞ」
どこから取り出したのか、いつの間にか劉備は赤く熟れた実に噛り付いていた。
主公が食べ歩き、というのは兵に示しがつかないではないか。孔明はそう思うが、劉備自身は気にした様子もなく、近くにいた兵に声を掛けて何やら聞いている。それに、こういった行動はもうずっと前からだ。孔明が仕えたときからそうだ。厳密には仕える前からもらしい。誰よりも付き合いの長い義兄弟達が言うのだから、これが自然なのだろう。
それでも、主公は主公らしくせねばならないときもある。だが、それを強制するのは、この気さくな主公を狭いところに閉じ込めておく、というような気がしてしまう。
「何個か採ってきたから、お前も食べろ、孔明」
そう言って実を一つ孔明に渡そうとするが、孔明は現在、両手がふさがっている。
「……後でいただきます」
「兄者ー! 孔明ー!」
そこに兵の調練中であるはずの張飛がやってきた。蛇矛を片手に、その大きな体でどかどかと道行く兵を気にせずに走ってくる。
「おお、丁度いいところに来たな。益徳、調練はどんな感じだ。張り切りすぎて兵に無茶を強いてはいないか? いきなりお前の調子で鍛えては素質ある者まで脱落してしまうぞ」
「分かってらぁ、そんなことしてねぇよ」
長兄に言われて末弟は少し拗ねたように口を尖らす。十分いい歳をしているけれど、張飛は劉備の前では幼くなる。
「張飛殿、何かご用だったのではないですか?」
「ああ、別に用事があったわけじゃねぇんだよ。見かけたから声、掛けただけでよ。兄者達はこれからどこ行くんだ?」
「このまま、ぐるっと兵を見て回るつもりだ。これからどんどん忙しくなるからな、動けるときに動いておかんと」
「そっか。それよか兄者、さっきから何、美味そうなの食ってんだ?」
「お前も一口食べるか?」
劉備は、食べていた実を張飛の口元へ持っていった。張飛は素直に口を開いて噛り付く。
「あ、うめぇ」
「だろう。まだあるから、お前にも一つやろう」
劉備は懐からごそごそと赤い実を張飛に手渡す。
「おう、ありがとな、兄者! 小腹が空いてたから助かったぜ! んじゃ、俺戻るわ、後でなー!」
張飛のように体格がよく、力の使い方も激しい男が、実一つで腹の足しになるとは思えない、という考えはこの際置いておいて、孔明は、末弟に手を振りながらもごもごと食べる主公を見る。
「さ、行くぞ、孔明」
一声かけて劉備が歩き出す。孔明はその後ろ姿に、一つ疑問がわいていたが、訊ねるのはあとにした。
「殿、どうなされましたか」
「子龍、調子はどうだ?」
次に訪れたのは趙雲の部隊だった。全体を見渡すと、落ち着いて清冽な印象がある。張飛の部隊は猛々しさが見て取れた。やはり、指揮する者の性格は表れるのだろう。
「少し遅れている小隊もありますが、概ねは良い兵に成長しております。このままで行けば十分間に合いますでしょう」
「そうだな、お前がそういうなら大丈夫そうだな。あ、でもあまり根は詰めすぎるなよ。……と、今はもう言う必要はないか?」
「殿ッ」
「はははっ、頼りにしているぞ、子龍。ほら、お前にも一つやろう、美味いぞ」
赤面する趙雲にからりと笑った劉備は再び懐から実を一つ取り出して、趙雲の手の平に置いた。
「これは、有難うございます。調練が終わりましたら頂ます」
やはり生真面目に礼を言う趙雲に別れを告げて、二人は次へと歩き出した。
「黄将軍!」
「これはこれは、劉備殿。何用ですかな?」
やってきたのは老将軍、黄忠の隊だ。劉備軍の中ではまだ新しい方に入る部隊だが、今編成しなおしている隊とは比べ物にならないほど熟練している。
「調練の進み具合はどうだ?」
「良いですぞ。新規に編成された者達も、連携が取れるようになってきました。古参の者達の勢いに引っ張られているようですが、それもそのうち慣れるでしょう」
「順調そうだな。さすが将軍」
「まだまだこれからです。立ったばかりのようなひよっ子には負けませんぞ」
「これでは先に歳若いのが音を上げてしまいそうだなぁ。もう少ししたら休憩してはどうか。美味い実を採ってきたから、その時にでも食べてくれ」
「これはかたじけない。あとで有難く頂きますぞ」
黄忠は皺が深くなった顔を笑みで歪ませた。
「おお、いたいた。間に合ったか。馬超!」
「劉備殿、どうなされたか」
馬超の隊は自分達の任地へ行くために既に準備を整え終わっていた。もうすぐ出発しようとしていたところだ。馬術に長けた者達が多く配置されている隊はかなりの数にも拘らず整然としていた。
「これから出るのだろう。気をつけてな」
「見送りか。主公自ら、かたじけない。あちらはお任せあれ。我が力、存分に振るわせていただく」
「頼もしいな。しかししばらくお前と益徳の喧嘩が見られなくなるのは、少し物足りないものだ」
「喧嘩ではなくあれも鍛錬のうちだ、劉備殿。張飛殿には先ほど挨拶もしてきた。どうせすぐに再戦になるだろう」
「ではそのときを楽しみにしようか。ほら、餞別だ。持って行くといい」
「美味そうな実だな。有難く頂戴する。それでは!」
勇ましい笑みを残して、馬超たちの部隊は一斉に駆け出していった。
「魏延、ぎえーん」
「劉備様! 何かありましたか?」
どちらかといえば職人気質の魏延が率いる部隊は、粗野ではないが、荒々しさがある。けれどもその当の魏延と言えば、普段は豪胆とも言えるほどだが、敬愛する劉備の前に立つと、借りてきた猫のようになってしまう。
「いや、何。調子はどうだ? 兵の調整はどれくらいまで進んでいる?」
「は、はい、順調に進んでおります。他の部隊にも遅れはとりません」
緊張しているのか、多少上擦った声で言う魏延に劉備は相好を崩して肩を叩いた。
「そうか、ならばいい。お前が納得のいくまでしっかりしごいてやってくれ」
「はい! お任せください!」
「うん、あ、それとな、後で腹が減ったときにでも食べるといい。向こうで採ってきたんだが、いい熟れ具合で美味いぞ」
「これは……有難うございます! ……しかし、俺、いや、私が貰ってもよいのですか」
魏延はちらりと劉備の後ろにいる孔明を見た。孔明は先ほどからだんまりでそっぽを向いている。
「ああ、気にするな、気にするな。いつものことだしな。後で何か言ってきたら私に言いなさい。孔明、お前も言いたいことがあるなら私に言いなさい」
魏延はぽかんとしながらも返事をし、孔明は面白くなさそうにため息をついた。
それから劉備は簡雍たち文官の所にも顔を出して、彼らにも実を分けていった。孔明はその帰路に、ずっと思っていた疑問を口にした。
「……殿、お幾つ、採ってきたのですか?」
「持てるくらいだな」
一体全体どこに持っていたのか。と言うツッコミを孔明は飲み込む。 食べれるときに食べる。食べれるものを必要な分だけ確保する。劉備軍では当然のことである。豊かな土地を手に入れても、それは変わらない。孔明はもう一度ため息をついた。
「何も殿がそんなに採ってこずとも、後で誰か一人、兵に頼めば良かったのでは」
「そうだけどな。ただ、初めて食べたとき、本当に美味かったから、皆に分けたかったんだ。一人で食べるのはもったいないだろう?」
「………………」
「ほら、孔明。お前の分」
朗らかに笑って劉備は、竹簡がなくなって空いた両手にその実を乗せた。 食糧事情が芳しくないにも拘らず、美味しいものを一人で食べはせず、皆に分ける。可能ならばそれこそ、民の一人一人にまで分けようとするのだろう。 そして最後まできちんと、自分の分を取っておいていてくれたことに孔明は内心嬉しかった。実際、なくても構わなかったのだが、劉備が向けてくれた心遣いにほんのりと喜びを覚える。
「雲長もいたら良かったのになぁ。さすがにあっちに送るには、実が傷んでしまうしな」
「ではこの実を干したものを送ってはどうでしょう。干した果実は旨味も甘味も増しますからね」
「なるほど、それはいいな。そうするか」
孔明の提案に劉備は破顔する。その、かげりのない笑顔。時には生き抜くために強かな面も見せるけれど、この主公の心根は、どこまでも真っ直ぐだ。だからこそ、皆、主公に惹かれる。様々な者達が、集まってくる。まるでそれこそ色とりどり鮮やかに、人がここに揃うのだ。
「今度は皆、揃って宴会でもやりたいな。なぁ、孔明」
主公の声に、孔明ははにかんで、誰しもが答える言葉を言った。
「ええ、いつかきっと」
了
『昭烈帝忌辰祀典2010』に参加した時に書いたもの。
まるきりオリジナル設定です。色々感想をいただけてとても嬉しかったです!有難うございました。
蜀取りのあとの話で、主な武将総出演。この話で好評だったのは魏延さんです。可愛いとのお言葉を頂きました。魏延さんは渋くて可愛いと思います(矛盾
多分、劉備さんが魏延さんのことを『文長』と呼び出したら、孔明さんの眉間の皺が深くなると思います。
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