再起
樊城での戦で、曹仁と李典の軍は劉備率いる軍に惨敗した。その責を負い、どんな罰も覚悟して帰還したが、曹操から告げられたのは敗戦の責は問わない、という言葉だった。傷を癒せ、とまで言われ、曹仁も李典も恐縮して帰途に着いた。
その途中。
「李典」
しばらく口を開かなかった曹仁が不意に李典に声をかけた。はい、と返事をすると曹仁は立ち止まる。同じように立ち止まって李典は横にいる曹仁を見上げた。
「今回はすまなかった」
視線は合わせず、うつむいたまま曹仁が呟いた。
「…………どうしたのですか、突然」
突然の謝罪に李典は面を食らう。当たり前だ、今まで曹仁はずっと、李典の言葉に耳を貸さず、それどころか二心を抱いているのではないかと疑い、打ち首だと叫んだ。劉備の軍勢に敗れたときも、たしなめる李典に、もう言うな、と言葉を叩き付けた。それがここにきて、謝っている。
「お前の言葉を聞いていれば、樊城を奪われずに済んだやもしれぬのにな」
「……その可能性はあるかも知れませぬが、断言はできぬでしょう。我々があの時、打って出なかったとしたら、相手は別の作戦を考えていたでしょうから」
「まぁ、そうだが」
曹仁は李典を見ない。その態度に、李典は素直ではないと内心思う。とはいえ、曹仁の性格からすれば、あれだけ言ったあとに真正面から謝るのは難しいのだろう。
「それに、曹仁殿を止め切れなかった拙者も非はあります。趙雲に負け、みっともなく敗走したのも事実ですから」
「お前は副将だ、最終的に大将の命に従うのが道理だ。熱くなって聞く耳を持たなかった自分が馬鹿だった」
そこで初めて曹仁は李典を見た。
「……今更言っても詮無き事だがな。悔いるならもっと早くに自分を戒めるべきだった」
自分自身に苛立ったような口調で言う。
「……曹仁殿」
李典はその謝罪を受けながら、思った事を口にする。
「気色が悪いです」
眉を寄せて思い切り訝しむ態度で言った。言われた当人は唖然として、それから噴火した。
「気色悪いとは何だ! 気色悪いとは!!」
「そうでしょう、あれほど話を聞いてくださらなかったのに、ここにきてご自身の非を認め謝罪するなど、そう思わずにはおれませぬ」
「お前な!!」
「下手をすれば、丞相から許しをもらえたから、周りに寛容になった、と穿った見方をされてもおかしくありませんぞ」
李典がそう告げれば、曹仁はハッとしてから、ぐっと言葉に詰まった。どうやらそこまで考えが回ってなかったらしい。その様子を見て、謝罪の意はここへ戻る前からあったのだろうと感じる。帰途の最中、曹仁は無口だった。誰に当り散らすでもなく、歯を食いしばりながらも粛々と軍を率い、そして曹操の前に出たときも、李典に対しての責任のなすりつけなどせず、あった事を述べ、敗戦の咎を受けようとしていた。
「曹仁殿はもう少し不遜であられてもよいと思います。ここには人の目はありませぬが、大将が副将に謝罪する姿など、あまり兵に見せてはいけないでしょう」
「だが、己の非も認めれぬ者にはなりたくはない」
はっきりと言う曹仁に李典は内心感心する。だが、
「ご自身の言うとおり、悔いるならばもう少し早くに聞く耳を持ってくださっていれば、本当に良かったのですが」
大将相手に淡々と李典は言った。曹仁の眉がつりあがり、こめかみ辺りがひくついたが、怒鳴り声は無かった。
「……お前はどんな時でも冷静だな」
「気を急かしたり、頭に血を上らせては判断力も鈍ります。それに飾り立てられた世辞や慰めの言葉など曹仁殿は必要としてませんでしょう」
曹仁は黙る。むっつりと口元を引き結ぶ姿を見上げて、李典は笑みをこぼした。
「丞相もおっしゃられました。勝敗は兵家の常。生きているのですから次の事を考えましょう」
「……そうだが、お前に言われると何故か腹が立つぞ」
「狭量ですぞ、曹仁殿。拙者の言葉など、笑って受け入れられるほどにならなければ」
納得できないような顔の曹仁に、李典は歩くのを促した。曹仁はいろいろなものを吹っ切るように、肩を怒らせて大股で歩き出す。
「くそっ、次は勝つぞ!」
「はい。ですがその前に養生した方が良いでしょう。多少の怪我も甘く見てはなりませぬ。戦場ならばいざ知らず、今は時があるのですから」
「分かっている!」
先をずんずんと歩くその背中を眺めながら、李典はいつもの調子に戻ったなと思った。己を省みて律する事は大事だが、それであまり消極的になってもよくない。もし再び曹仁が直線的な行動に出たとしても、制止する誰かがいれば、おそらく耳を傾けてくれるだろう。
李典は和やかに微笑んで、その後ろ姿を追った。
了
仁さんは昔は暴れ者だったけど武将として育ってくると信賞必罰をきちんとする曹操の信頼厚い人だったそうで。一説では
張遼さんより武勇は上。曹丕も曹仁さんを見習え、と曹彰に言っているほど。
しかし横山版のちょい短気だけど兄貴分な仁さんも好きです。
演義だけでなくほかの作品でも、ある意味、敵国だけでなく味方からも引き立て役になったり割を食っているお方……。そんな仁さんが大好きだ。
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