真赤―まそほ―

虎猛り、龍咆哮す。




 ──────191年、水関。
 帝を擁し暴虐非道の限りを尽くす董卓を討つべく、各地の諸侯が連合し、戦が始まった。
 ここ水関は董卓の腹心である華雄が守っており、袁紹たちはまず華雄を倒すために軍を進めた。
 孫堅率いる軍には、彼の長子である孫策も加わっており、若いながらもその武勇を遺憾なく発揮していた。
 黄巾の乱では初陣にも拘らず、旋根を振るい教祖たる張角を打ち破った。その働きは父親たる孫堅ですら舌を巻くほどだった。
 そしてこの水関での戦い、途中、兵糧を担当する袁術から孫堅軍に物資が届かないと言う事態も起きたが、孫策が立ちふさがる敵を倒し拠点を落とし、兵站線を確保したため事なきを得た。
 「良いご子息をお持ちですな、孫堅殿」
 共に参戦していた劉備が、一時、兵をまとめるために補給拠点に留まっていた孫堅に声をかける。
 「暴れたい盛りなのだろう、だが、少々突出しすぎる傾向もあるな」
 横から冷ややかに分析してきたのは曹操だ。二人の言葉を受けて孫堅はからりと笑う。
 「今のうちはそれくらいの勢いがあった方がいい。いつかは私の跡を継ぐのだからな」
 言いながら、先に飛び出していった孫策の後姿を見るように遠くを眺めた。
 「さて、そろそろ行くとするか。皆の者────」
 孫堅が配下の兵達に進軍を示すように片手を挙げたときだった。
 「で、伝令!!」
 一人の兵士が慌てふためいたように、足をもつれさせながらも飛び込んできた。何事かと劉備と曹操も表情を険しくする。
 「どうした」
 孫堅が先を促すと、兵士は息を一度飲み込んでから、叫ぶように告げた。
 「し、水関に……水関に呂布が、呂布が現れました!!!」
 その言葉はそこにいた一同の目を見開かせるのに十分な内容だった。




 「敵将、討ち取ったりぃ!!」
 先発隊を自称するように孫策は孫堅、曹操、劉備、更には総大将の袁紹よりも早く水関前にやってきた。その周辺を守っていた名の知れた武将達を次々と倒していく。
 気分が高揚していた。戦場に身を置き、戦うことで得られる高揚。戦いを厭う者からすればその気分は度し難いと言うだろうが、孫策にとっては戦場の中こそ生きていると実感できた。強い者と己の力の限りに戦う。命と命のやりとりだ。勝利することは確かに嬉しい、だがそれ以上に、戦うことにこそ高ぶりを覚えていた。
 父親は江東の虎と呼ばれていた。ならば自分は虎の子だ。獲物を求め、孫策は首をめぐらせた。
 ふと、その水関前がやけに騒がしくなっていることに気がついた。叫び声が上がり、こちらの方へ逃げてくる兵士が多い。
 「おい、どうした?」
 近くにいた兵士に声をかけると、兵士は顔を真っ青にして孫策に言った。
 「呂布です、あの鬼神、呂奉先が出てきたのです!!」
 「何ぃ?」
 呂布。その名前は知っている。董卓の養子でその武勇は何人も相手にできぬほどと言われるほどの強さだという。呂布と対峙して生きていた者はいないとすら言われている。
 「伝令! 若殿様!!」
 孫堅の配下の兵士が駆けつけてきた。
 「おう、何だ」
 「袁将軍からの伝達で、『無駄に兵を失うことはない、呂布は相手にせず、迂回路を進め』とのこと。大殿様もそちらへ向かうおつもりだそうです」
 水関に向かうのには二つの道がある。正門から入る方法と、正門より迂回して、南門より進軍する方法だ。孫策は自分が来た方向を振り返った。孫堅たちより先についたらしい公孫サンの軍が正門の橋は渡らず南へと迂回しようとしていた。どうやら全軍はそちらへの道をとるらしい。それほどまでに、あの呂布は強いのだ。
 「………………」
 孫策は水関の正門がはっきりと見える位置まで進んだ。正門は開かれており、その真ん中に立ちふさがるように赤い馬に乗った大柄な男の姿が遠目に見えた。
 呂布は血の様に赤い毛並みを持った『赤兎馬』と呼ばれる馬に乗り、その身の丈は誰もが見上げるほどの偉丈夫だという。だとするならば、あの大男がそうなのだろう。
 「……呂布……」
 ──────どれほどの強さなのだろう。
 沸き起こった疑問。それはすぐに突き動かす欲求へと変わった。
 「わ、若殿様?!」
 突如、孫策が正門へ向けて馬を進めたのを見て、伝令は別の意味で真っ青になった。
 「お戻りください、若殿様、孫策様!!」
 引き止める言葉をその背中に投げかけたが、既に孫策の耳には届いてなかった。孫策は口元に不敵な笑みをたたえ、正門へと向かった。伝令は追おうにも追えない。下手をすると呂布の刃がこちらに向かってくる。しかし、孫策は孫家の大事な跡継ぎである。
 「何事だ!」
 窮していると後ろから声がかけられた。伝令はその姿を見て涙すら浮かべた。
 「孫堅様!」
 「どうした、お前は策に伝えに行ったはずではないのか。策はどうした」
 「そ、それが、今、正門に……!!」
 「正門? あそこは今呂布が守っているはずではないか」
 「はい、その呂布を見て、若殿様は……!」
 視線を向ければ、兵士達の波の中に確かに見覚えのある後姿を見つけた。
 「お前の息子、どうやら呂布と戦うつもりらしいな」
 「何だと?! いかん、策よ! 戻れ!!」
 強い者に立ち向かう心意気はいっそ嬉しい。だが、今回の相手はその範囲には納まらない。ましてや、まだ二十歳にもならぬ少年が、一対一でやりあおうなどと、無謀を通り越して愚策に近い。
 「雲長、翼徳!! 孫策殿を止めるのだ!」
 「承知!」
 「呂布とやりあうのか、おもしれぇ!!」
 劉備の傍にいた義弟二人が馬を駆り孫策の後を追った。


 「ん……?」
 呂布が正門へ姿を現すと、それまで勢いのあった連合軍の兵士達は、急に勢いをなくした。それをつまらなさそうに一瞥し、呂布は方天戟を構えた。鬼神として知られる呂布の視線に、果敢に、いや、恐怖に耐えられなくなってだろう、一人の兵士が剣を振り上げ踊りかかるが、呂布は顔も動かさず、腕を振るうだけで兵士を切り殺した。
 最近は己が出るとほとんどの兵士達は立ち向かってこようとはせず、情けなくも尻尾を巻いて逃げていく。つまらない。己は戦うためにここにいるのだというのに、その相手が誰もいないのだ。いたとしても呂布はその相手はあっという間に倒してしまう。歯ごたえがなかった。
 そんな中、一騎がまっすぐにこちらへ向かってくるのが見えた。武器は旋棍と珍しい。若い、少年と見えるほどの男。孫策だ。
 「お前が呂布だな!?」
 孫策が呂布を見据えて馬上から叫んだ。
 「それがどうした」
 呂布は相変わらずつまらないように低い声で答えた。
 「俺と勝負しろ!!」
 その台詞に呂布は片眉を上げた。不敵な笑みを浮かべる孫策を見て、呂布はあからさまに侮蔑の笑いをあげた。
 「フン、雑魚の分際で俺に敵うと思っているのか!」
 「雑魚かどうか、やってみなくちゃわかんねぇだろ!!」
 言うが早いか、孫策は呂布へ突っ込んだ。呂布もそんな孫策を軽くいなしてやろうと、赤兎馬の腹を足で締める。呼応して赤兎馬は荒々しい嘶きを上げ、同じように駆け出した。両者の馬がすれ違う瞬間、間髪入れずにそれぞれの武器が唸りを上げ、相手を襲う。
 衝撃。
 馬は駆け抜けた。双方落馬はしていない。
 「………っ」
 「ほう」
 だが、反応は異なった。孫策は眉を思い切りしかめ、腕の痺れを堪えていた。呂布は自分の攻撃を受けても落馬しなかった孫策に僅かながら感嘆する。
 孫策は歯を噛み締めた。馬上からの攻撃とはいえ、勢いをつけての攻撃だった。それを呂布はいとも簡単に押さえた。それどころか、呂布の攻撃は重く、ともすれば吹っ飛ばされそうだった。片腕だけでは無理だと即座に判断し、咄嗟に両腕で攻撃から守りに転じたので、辛くもそれは防ぎきれたのだ。
 先ほどの一合だけでも、力の差は歴然。孫策にもそれは分かった。だが、
 「………………はっ!」
 笑い飛ばす。呂布は訝しげに目を眇めた。
 「流石呂布、ってところか……そうこなくちゃ、面白くねぇ!!」
 再び構える。歯をむき出して不敵に笑って。
 「……己と相手の力量の差を知ってもまだやるのか?」
 「だからどうした! これっくらいで俺が引くと思ってるのかよ!」
 「馬鹿な奴だ。戦うにも値せん。────だが、俺の前に出てきた以上、たとえ虫けらだろうと容赦せん。来るがいい!」
 「やってやらぁ!!」
 気合を入れるように声を上げ、孫策は再び呂布に突っ込む。相手は方天戟。そしてあの体躯。攻撃範囲は己よりもずっと広い。うかつに入ればあっという間に餌食になるだろう。だが、その分、攻撃は大振りだ。遠目から見ていても、小回りのきく動きはしていなかった。ならば。
 「っらぁあああああっ!!!」
 「!」
 馬の駆ける勢いを利用し、孫策は馬上に足を上げたかと思うと、馬の背を蹴るようにして呂布に飛び掛った。横に方天戟を構えていた呂布は、意外な行動に目を見開いたが、すぐに旋棍を防いだ。しかし、全体重をかけるように体当たりの如く突っ込んできた孫策の勢いを止めきれず、上体がぐらついた。
 「ちっ」
 舌打ちをし、呂布は落ちるに任せず、自ら体を反転させて赤兎馬から身軽に降りた。孫策もその呂布の肩に手をついて素早く飛びのいた。馬だけが駆け抜ける。地に足をつきお互い向き合って構えた。
 馬上からの攻撃より己の瞬発力を使っての攻撃の方が孫策は得意だった。呂布を自分の土俵へ引きずり込めば、少しでも勝機は見える。旋棍を改めて握りなおし、唇を一舐めした。そこへ二頭の蹄の音。
 「ご子息! そやつの相手は我らがする! そなたはお父上の元へ戻られよ!」
 「尻の青い小童が敵う相手じゃねぇぞ! 無駄死にしたくなかったら下がってろ!」
 劉備の義弟、関羽と張飛だった。己の武器を構え、矢のように突っ込んでくる。
 「ほう、どうやら少しは骨のある奴が来たようだな。フン……腕が鳴るわ!」
 不意に現れた二人に、呂布の興味はあっさりと孫策からそちらへ向いた。目の前にいながら存在を否定されたような態度に、孫策はかっとなる。
 「てめぇの相手はこの俺だ!! よそ見すんじゃねぇ!!」
 駆け出し、視線は孫策の後ろからくる二人に向けている呂布へ咆哮を上げる。それを見て張飛は舌打ちをし、関羽は眉間に皺を入れたが動きは止めなかった。三人は呂布へと攻撃を仕掛ける。それに対し呂布は脇を締め、ほぼ同時でありながらも僅かに生まれる攻撃の早さの違いを見極め、方天戟を振るった。
 関羽の偃月刀を流し、張飛の蛇矛を弾く。体ごと突進してきた孫策の旋棍をかわし、その体を横から蹴り飛ばした。
 「ぐっ!!」
 孫策の小柄な体はやすやすと飛ばされる。だが、地面に叩きつけられる前に片手をつき、体をひねって両足で着地した。

続く



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