真赤―まそほ―

逢魔時


 駆けていた。
 次第に暮れ落ちる日の光をあびながら、呂布は駆けていた。その後ろを、陳宮と、従者の胡郎が必死に追いかけていた。呂布の赤兎はどの馬も相手にならぬほど速い。今はそれでも力を抜いているのだが、他の馬にしてみれば、全力で追いかけなければついていけない速さだった。

 今日は珍しく、呂布は調練には出かけず、陳宮と共に狩りに出かけた。息抜きだ、と言って半ば強引に連れ出されたので、陳宮は道中、呂布に説教をしていたが、相変わらず呂布は聞く耳持たずだった。そのうち陳宮も諦めて黙るしかない。
 久しぶりに弓を使って、最初は昔の勘が取り戻せず焦ったが、そのうち慣れてきて、弓を引き絞る手にも力が戻ってきた。鳥や兎を狩り、胡郎が持ってきた道具でそれらで食事にする。これほど食事が美味しい、と感じたのはやはり久しぶりだった。呂布は部屋にばかり篭っているからなまるんだと言い、胡郎も顔色がよくなりましたよと言った。言われて、それほどまでに自分は酷かったのだろうかと振り返る。
 いつ戦になってもおかしくない日常だったが、昼からはのんびりと静かな時を過ごした。呂布は午睡を楽しみ、胡郎は赤兎達の世話をしている。陳宮も、呂布の側で、己の弓をいじっていた。その穏やかさに陳宮は不思議と胸苦しくなるものを感じる。呂布の綸子がひらひらと揺れていた。



 「陳宮」
 不意に、先を走っていた呂布が赤兎を止めた。高い、切り立った崖の一角だ。あまり寄り過ぎると危険ではないかと思いながらも、陳宮は呂布に馬を寄せる。胡郎は少し離れたところで馬を止めた。
 呂布は崖の先に見える景色を眺めていた。紅く染まる夕焼けが辺りを照らしている。日が落ちる前の、とろけるような紅い金色は強く、呂布の姿はその夕焼け空に黒く切り取られたように見えた。表情がよく見えない。
 そこから見えるのは、これから自分たちが帰る町並みだった。四角く囲った城壁とその中にある家々。全てが紅い金色に染め上げられている。
 「……凄い、眺めですね」
 紅い金色に染まる空と町並み。遠くの山は呂布と同じように黒く染まっている。あまりにもくっきりと分けられた色。圧倒される光景。どこか現世(うつしよ)に見えない景色に思った。この色は、どこかで見たことがある。陳宮は、胸が落ち着かない気分に襲われた。足元が不意にすっぽりと抜け落ちてしまうような。
 「……この光景は、前にも見たことがある」
 「え? ……ああ、調練の帰りにですか? ここからの眺めは絶景ですものね」
 静かに言われた言葉に陳宮はざわつく思いを押さえ込んで穏やかに答えた。
 「違う」
 しかし、返ってきたのは否定の言葉だった。
 「洛陽でだ」
 「──────え」
 呂布を見た。視線は変わらず眼下の町並みにある。
 「夕焼けは、炎のようだな」
 陳宮は息を飲んだ。
 ──────洛陽炎上。
 その日のことを、呂布は言っているのだ。
 董卓が突然言い出した遷都により、民はすべて長安へと移された。人々のいなくなった洛陽は炎の海へと変わった。それは五日間も燃え続け、後には焼け崩れた廃墟が残るのみ。
 その洛陽を炎で染めたのは呂布だった。
 「……何故、そのようなことを」
 言うのかと暗に問い掛けた。
 「……さてな。この光景を見ていたら思い出した。それだけだ」
 「………………」
 昼の光から、夜の闇へと移り変わる、刹那の時。青空でもなく、藍の空でもない、紅い金色の空。酷く印象深いのに、ほんの半刻ほどももたない時間。その空の中に、呂布はいた。何をするでもなく、ただ、己の愛馬に跨り、世界を眺めている。その後ろ姿は、すぐ側に在るというのに、本当に今ここに在るものなのだろうかという疑問をもたせた。そこにいる人は、本当に、己の主か?
 恐ろしい。
 陳宮はそう思った。呂布にではない。その光景にではない。この、何かを分け隔てるような、刻に。
 陳宮は、何かに攻め立てられるような、追い立てられるような圧迫感を覚えた。呂布が、手の届かないところへ行きそうな。そんな。
 「呂布殿」
 何かを遮るように、陳宮は呂布を呼んだ。呂布はすぐに振り返る。
 「どうした」
 その声に、少しだけ安堵する。けれど、追い立てられるような圧迫感は消えない。
 「……いえ、早く戻りましょう。でないと城門を閉められてしまいます」
 「そうなったら野営すればいいだけのことだ。獲物はまだあるしな」
 「まさか領主を戦でもないのに野営させるわけには参りません。さ、帰りましょう」
 事も無げに言う呂布に陳宮は苦笑して見せると、そう言って促した。呂布も、別段渋るでもなく赤兎を動かした。
 「………………」
 振り返る。日は黒い山の影へと落ちかかってきていた。空も、紅い金色から、蒼く、藍も混じる空へとその姿を変えつつあった。本当に、僅かの間しか、その姿を現さない世界。だがその色は、何故か呂布に、酷く似合っているようにも思えた。紅い金色。炎。業火の如く、燃え上がる色。全てを焼き尽くす色であるのに、その印象は痛いほど、切ない。
 紅い金色の空に立つ、黒き獣。
 陳宮は背を向けた。湧き上がる言葉に表せない、否、どこかではっきりと分かっている不安を断ち切るように。
 させるものか、と、何かに対して胸の内で叫ぶ。
 生きるのだ、あの人と共に。あの人が、何かを諦めたとしても、己がそれをさせない。連れて行かせない。最後の最後まで、あの人はあの人であり続け、そして己はその側に在り続ける。終わらせなどしない。潰えさせなど、しない。
 「陳宮」
 遠くから己の名を呼ぶ主の声が聞こえた。陳宮は、在るべき場所へと駆けて行った。













逢魔時。おうまがとき。昼と夜の境目の、夕方のこと。

「誰彼時とも表記し、「誰そ、彼」のことであり、「そこにいる彼は誰だろう。良く分からない」といった薄暗い夕暮れの事象を、そのまま言葉にしたものと、漢字本来の夕暮れを表す文字を合わせたものである。」
──────wikipedhiaより引用。


私にとっての呂布軍と言えば雪景色なのですが。
でも雪景色の中の落日は相当くるものがあります。白銀の世界だからこそ、なお、紅く金色に染まり、光り輝く。
燃え盛る炎の激しさと儚さ、落日の切なさ。呂布さんは戦い続け、その戦いがなくなったら、戦い続けられなくなったら、どうなるのか、と言う危うさをもっているなと。それを陳宮は知っていて、でも陳宮が目指す世は、最終的には、戦のない世の中で。このままいってもいつかは相容れない存在へとなってしまうやもという不安も含まれていて、だけれど、呂布の側に在り続けたい気持ちと、呂布を飼い殺しにしたくない気持ちもあって、矛盾するそれが消化できず、でも今は進むしかない、という状況。
そんな気持ちを、まるで目の前に突きつけられた気分になってしまった陳宮、と言うような話です。

サイトでアンケートを取った結果、組み合わせで一番を取った呂陳でした。呂陳と言うより呂布&陳宮なので※印なしで。

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