真赤―まそほ―

目印




 「おい、陳宮」
 竹簡を山のように抱え、さかさかと忙しなく移動していた陳宮の後ろから、低い声がかけられた。聞きなれた、どこか有無を言わせぬ迫力を秘めた声だ。
 「呂布殿! 丁度良いところに、探しておりましたのですぞ!」
 今抱えている竹簡の半分は実は、偉丈夫の主に持っていこうとしていたものだった。しかし政務を嫌う、というより苦手である主は調練と称して雲隠れする。今日も今日とて、朝から姿を見なかったのだ。
 「こちらに目を通していただきたいのです、今日中に!」
 半ば走るように歩み寄り、陳宮は竹簡を突き出す。呂布は思い切り顔をしかめた。眉間に皺を寄せ、不快そうな表情を隠しもしない。しかしそれは予想通りの表情なので陳宮は気にとめない。呂布はこの軍の大将だ。例えどんなに嫌がろうとも、責任は果たさなければならない。ある程度のことは軍師である陳宮が捌くが、どうしても、呂布が目を通し、呂布の許可を得なければならないこともある。これでも、通常、上に立つ者の仕事よりもずっと少ない。もっとも呂布にとっては多かろうと少なかろうと不快であることには変わりない。
 「お前が勝手にやれと言っているだろう。それよりもだ」
 「それよりも! それよりもでございますか! 呂布殿が私を『信頼』してくださっていることには大いに感謝致します。ですが以前も申し上げました通り、例え我が主たる呂布殿のお言葉と言えど、己の権限を越える務めは致せませぬ。度を越す権限はそれを利用する者を増長させてしまう。軍師たる私がそのようなことをすれば、それを見た豪族が何を勘違いするか知れたものではございませぬぞ」
 「その時は俺が斬ってやる」
 「そう簡単なことではございませぬ! 周りの者が皆、呂布殿と同じように単純明快この上なくわかりやすいのではありませぬぞ」
 さらりと主に対しては不敬に当たるであろう言葉を陳宮はため息混じりに吐く。呂布は目をわずかに伏せると、何食わぬ顔で持っていた方天戟を振り回す。陳宮にむけて。陳宮はそれを両手が塞がっているにもかかわらず、流れるように一歩後ろへ身を引き、上体を反らしてかわした。
 「………………かわすか」
 「さすがに慣れました」
 最初の頃は、ちょっとしたことで苛立った呂布が、今のように相手を黙らせるように方天戟をふるい、陳宮は慌てふためきながら避けたものだった。しかし、陳宮は軍師と言う立場上、呂布と話す機会が多い。そして怒らせる機会も多かった。そのうち、呂布がどういうことで苛立つか分かるようになり、次第に、どこまでなら呂布が我慢できるのか見極めれるようになった。今では、その微妙な境界を跨ぐような台詞を言って、反応を楽しむ余裕さえ出てきた。とは言っても、それは命がけではある。相手は呂布だ。突然、無表情で相手を切り殺すことがあっても不思議ではない。
 「ふん、後で俺の部屋に持っていけ」
 「執務室へ持っていきます。呂布殿の私室へ持っていけばどうなるか知れたものではございませぬから」
 再び、方天戟。まるで合いの手のように陳宮はかわす。
 「呂布殿、怒ってもおられないのに方天戟をこちらへ向けないでいただけますでしょうか」
 「慣れたというなら大丈夫だろう」
 つまらないように吐き捨てる呂布に、陳宮は苦笑する。
 「呂布殿、先ほど私を呼び止められましたが、何か御用がおありなのでしょうか?」
 話を戻すと、呂布は思い出したように眉を上げた。それからやおら、懐に手を突っ込むと、何やら取り出した。
 「………………何でございますか?」
 「鳥の羽根だ。見て分からんか」
 呂布が取り出したのは、赤く色づいた長い鳥の羽根だった。おそらくは尾羽だろう。
 「見て分かりますが、それと私と、どのような関係が?」
 「うむ、少し動くな」
 不意にがしりと片手で頭を押さえられる。と言うより帽子を押さえられる。そしてその帽子の縁に呂布は、無造作に羽根を二本挿した。
 「よし」
 満足そうに手を放して腕を組む。陳宮は手が塞がっているので、呂布が己の帽子にしたことを確かめることができなかった。
 「何をなされますか、いきなり」
 上目で帽子を見ようとするが、無理である。不可解な主の行動に、陳宮は眉を寄せた。
 「目印だ」
 「目印?」
 何やら堂々と、呂布は陳宮を見下ろす。
 「この間の戦、お前も出ただろう」
 「はい」
 「いくらお前は前線に出んとはいえ、はっきり言って、兵の中にいると小さすぎてどこにいるのかまったく分からん」
 「………………………」
 陳宮はけして小柄ではない。大きくはないが、平均的な身長をしており、体格も細くはない。元々県令であったし、体力がなければ勤まらない。ましてやこの戦乱、生き抜くには智のみでは足りない。故に、陳宮は生粋の武官についていける程度の体力はつけていた。なので、呂布の言う『小さすぎて』と言う言葉は当てはまらないはずなのだ。だが、大柄な呂布や、体格の良い兵士たちからすれば、小さいと見なされてしまうのだろう。
 黙ってしまった陳宮を気にすることなく呂布は続ける。
 「おまけにだ。文官というのは皆同じような格好しているだろう、分かり辛い」
 「……それをおっしゃいますのなら、具足をつけた兵士たちも同じでしょう」
 「同じではないぞ。文官のように判を押したようなものじゃない」
 後ろから見ても区別がつく、と当然のように言う呂布に、陳宮は内心呆れ返る。どうやらこの主は、武官である兵士たちの区別はつくが、文官は皆同じに見えるらしい。
 「……では私のことは今までどうやって判断しておられたのですか」
 「声」
 「………………」
 「と、気配」
 「は」
 「気配だ。お前くらいだからな。俺に対して怯えた気配も態度も見せんのは」
 あっさりと事も無げに言われて、陳宮は頭を抱えたい気分になった。気配。獣か、このお人は。……いや、『獣』であることは分かっていたはずだ。しかし、それを表すことをいざ言われると、困惑する。
 「見た目も特徴ないからな、お前は」
 「余計なお世話でございます」
 「だから目印だ。それをずっと挿しておけ」
 鳥の羽根。長いので、動きにあわせひらひらとゆれる。
 「何故二本も?」
 「俺の軍師だろう」
 その言葉に怪訝な表情を浮かべたが、陳宮は呂布の姿を改めて見上げて、ああ、と呟いた。
 「綸子、ですか」
 呂布は戦場に出るとき、その頭に綸子をつける。戦のない普段は、ほとんどの時間を調練にあてており、その間もつけているので、それは呂布の一部のようにも見える。まるで龍の髭のようだと陳宮は思っていた。鳥の羽根は、そんな綸子を模したのだろう。
 「俺の軍師で、お前だと分かる。目立つぞ」
 「あまり目立ちたくはありませんが」
 「つまらん奴だな」
 「結構でございます」
 陳宮の態度に、呂布は、ふん、と鼻を鳴らしただけだった。
 「……ですが、呂布殿の『ご好意』は有難くお受けいたします。ただ、なるべくであれば、声や気配やこの羽根ではなく、私の顔を覚えていただきたいですな」
 「誰が覚えてないと言った」
 「………………」
 「分かり辛いし特徴はないが、覚えているぞ」
 「……そうですか」
 それなのにこの羽根を挿すのか。主を分かってきたと思っていたが、まだまだなのだろうか、と陳宮は複雑になる。
 「よし、用は済んだ。俺は戻る」
 「調練は終えたのではないのですか?」
 「朝の調練はな。飯を食った後、昼の調練だ」
 そういって身を翻した呂布の前へ、陳宮は素早く回り込んだ。
 「昼からの調練は張遼殿か高順殿にお任せすれば良いかと存じ上げますが。呂布殿にはこの竹簡に目を通す、というお仕事がありますゆえ」
 「ちっ」
 陳宮は、忘れていなかったのか、という呟きを聞き逃しはしなかった。
 「本来ならば、一日の量は僅かなものなのですぞ。それを溜め込むからこのような量になるのです。調練をするときのような細やかさをこちらにも回してくださいませ!」
 「いやだ」
 「幼子ではないのですから『いやだ』ではありませぬ。ささ、執務室へ参りましょう、昼はそちらへ持ってくるよう手配します。──────それとも、敵前逃亡を致しますか、呂布殿」
 「何?」
 呂布の片眉が上がった。
 「嫌なことから逃げる。まるで勝てぬ相手から逃れるようではございませぬか。しかもやろうと思えばできると言うのに背を向けるなど、情けのうございますぞ」
 「この俺に向かって、情けないだと?」
 「はい。例え百戦練磨の鬼神でも、仕事一つ満足に片付けられぬとは、情けないほかに何がございましょう」
 「言ったな」
 「申しました」
 「貸せ」
 陳宮の腕から山のような竹簡を奪い取り、呂布はずかずかと執務室へ歩き出す。
 「こんなもの、時間などかからぬわ」
 ならば普段からやってくれ、と切に思うのだが、口にしなかった。これ以上の煽りは逆効果になるだろう。見かけた下女に昼食を頼み、陳宮は満足そうに笑って、後を追った。
 「今度の調練には私も参加してよろしいでしょうか」
 「どういう風の吹き回しだ」
 「呂布殿の軍師ですから、呂布殿の軍を見ておかずしてどうして軍師と言えましょう」
 その言葉に呂布は一度瞬きをしてから、にやりと楽しげに笑みを作った。





やっと無双の話です。他の話とは繋がっておりません。
無双5の陳宮はモ武将にもかかわらず物凄くキャラ立ちしていて素敵過ぎますね。とうとうと話しながら呂布さんの戟をかわすところに慣れを感じました。日常茶飯事か。
そして無双5の陳宮は呂布さんを好き過ぎると思う。もう手のかかる子ほど可愛いと言うか可愛がりすぎてからかって怒らせてそれすらも楽しんでいるような気がしますよ。

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