九泉のもと
ふ、と、曹洪が目を覚ます。眼前に広がるのは天井ではなくぼんやりとした空で、青くもなく赤くもなく、黒くもなかった。そこで曹洪は、自分は寝ていたのか、と自問する。寝る前のことを、よく思い出せない。
「………………」
起き上がり、頭に手を当てながら辺りを見回す。近くに枝垂れた木々があり、その側に誰かが立っていた。黒い衣服の、男だ。黒い頭巾を被り、手には黒い長柄の斧を持っている。顔がよく見えない。ぼうと立つその姿はありていに言えば不気味でこの世のものとは思えなかった。
木の側から曹洪の側へ男は歩み寄る。見下ろす形になる位置で立ち止まった。見えた顔は無表情で、視線は昏い。
だが、曹洪は苦笑して肩の力を抜いた。
「何だ、お前か」
見上げながら慣れ親しんだ名を呼ぶ。
「徐晃」
「………………」
徐晃は、無表情のままやはり黙って曹洪を見下ろしていた。そんな徐晃を見て、曹洪は自分がどうしていたのか、ここがどこなのか見当がついた。
「──────なるほどな」
あぐらをかき、頬杖をつく。
「お前が九泉の使者とは、似合いすぎにもほどがあるわ」
この世での生を終えた者が逝くと言う九泉の下。徐晃は曹洪の知っている限り、もう数年も前に亡くなっているのだ。その男がなんら変わりない姿で自分の目の前にいると言うことに、曹洪は、己が死んだことを悟った。夢ではない、と確証もなく判断する。
「こっちに来てからもその恰好なのか、お前。疲れやせんか」
「………………洪将軍」
まるで生きていたときのように気軽に話をする曹洪に、徐晃はぽつりと名を呼んだ。
「何だ」
「……驚かないのですか」
「何を」
「……ここが九泉であるということに。その意味に」
「別に」
あっさりと曹洪は言う。徐晃はあまり変わらない表情で困惑した。
「歳も歳だったしな。驚きやせん」
「確かにそうですが、それでも、まだ、と言う思いはあるでしょう」
曹洪は曹操の時代を生きた武将の中でも最後を争うほどに生きていた。寿命である、と言われてもおかしくはない。
「そうだな、だが、まぁ、あちらにいるよりもこちらの方が居心地はいいかもしれん」
「………………」
「それよりもわしは、お前がわしの迎えと言うのが納得いかんぞ。まぁ、兄上たちに迎えに来てもらうと言うのも、申し訳ないとは思うが、どうせならなぁ」
曹洪は心底残念そうにぼやく。徐晃は何とも言いがたい顔をしていた。そんな男の顔を見上げて、曹洪は喉で笑う。
「愚痴を言っても詮無いか。そら、連れて行け」
「洪将軍」
「わしを迎えにきたんだろう。だったらさっさと連れて行け。早く兄上たちに会いたいしな。元気にやっているんだろう? ん、こちらで元気に、と言うのもおかしいのか?」
片手をあげ、顎で徐晃に促した。それに徐晃はようやく口元をほころばせて笑う。曹洪の手を掴み、立たせる。
「お前も、そうやって自然に笑えるのに、どうしていつも不気味にしか笑えんのだ?」
「不気味とは酷いですな」
「口は歪んでいるくせに目が据わって笑っていないのはどこをどう見ても不気味だ」
「その笑い方も私にとっては自然ですが」
「変だぞお前」
眉間に皺を寄せ呆れたように曹洪が言うと、徐晃はまた笑う。その笑いと、徐晃の視線に曹洪は片眉を上げた。
「なぜ、私があなたの迎えなのか分かりますか」
「分からん」
「早くこうやって洪将軍と話したかったからですよ。お変わりないようで嬉しい限り」
「人間はそう簡単に変わらんわ。お前こそ相変わらずでうんざりだ」
「はい」
生前のやりとりそのままに、徐晃はかみ締めるように笑い、曹洪はその顔に懐かしさと慕わしさを覚えながらも、やはり悪態をついた。
了
ふと思いついたので、まとまりがありませんが、いわゆる
死神徐晃さんです。そしてそんな徐晃さんにあっけらかんと『連れて行け』という曹洪さんがいいなと。
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