真赤―まそほ―

欲しい言葉


 「徐晃」
 戦場から戻ってきた徐晃は意外な人物に迎えられた。
 「洪将軍」
 本来なら、彼が構えている陣はここよりずっと離れたところにある。馬で駆け通せばそれほど時間はかからないものの、やはりここにいるのは意外だった。
 「どうしてこちらに」
 「向こうで関羽を追い詰めたと聞いてな。すぐに戻る。……お前がここに戻ってきたと言うことは、奴は死んだか」
 「………………」
 ひっそりと徐晃は笑った。樊城の曹仁を助けるために援軍に徐晃は向かった。于禁は捕らえられ、ホウ徳は死に、状況は不利かというところで呉の参戦と、蜀内での裏切りがあり、一気に関羽たちは追い詰められた。魏軍は軍を編成しなおし、その後のことは呉が行った。そして呉が、関羽たちを捕らえ、処刑した、と言う報がもたらされたのは先ほどだ。
 「どうした」
 「……いえ、何やら、気が抜けてしまったと言いましょうか」
 「奴が死んだからか。……まぁ、確かにな。あれほど我が軍を苦しめ続けた男だったからな」
 その昔、曹操が心からその才を愛し、求めた男だった。徐晃自身、刃を交えたこともある。その強さにはただ舌を巻くばかりで、いっそ感歎を覚えた。その男が、ついに。
 「……もう一度、真正面から戦ってみたかった」
 「呉に討たれたのが口惜しいか。武一辺倒なお前らしい言葉だな」
 曹洪は小さく笑う。
 「お前がその調子なら気を揉む必要もなさそうだな。陣に戻る。邪魔したな」
 あっさりと背を向けて、曹洪がその場から立ち去ろうとしたのを見て、不意に徐晃は手を伸ばして袖を引いた。
 「何だ……」
 振り返ろうとする前に、その後ろ姿に寄って、ごつ、と曹洪の後頭部に額を当てる。それ以上は、もたれかからず、抱きしめもしなかった。
 「………………」
 何かするのかと僅かに曹洪は身構えたが、徐晃はそれ以上動かなかった。
 「……どうした」
 曹洪のため息が聞こえる。またわけの分からないことをしている、とでも思っているのだろう。徐晃は目を伏せて笑う。
 「……何とも、呆気ないものですな」
 「うん?」
 「戦っているときはただ相手を倒すことのみを考えている。自国の誇りだの立場だの関係なく、ただ目の前にいる敵を倒すことのみ考える。それで命を奪おうとも落とそうとも、後悔などなく、そんなものを抱くことは相手にも己にも冒涜であろうと思います」
 「………………」
 「その最もたる強敵が、ああも呆気なく策にはまり討たれる。……何とも、はや」
 喉の奥で笑った。嘲笑とも、自虐ともとれそうな皮肉めいた笑いだった。
 「例えどのような者でも、最期はどうなるかわかりませんな」
 「……そうだな」
 曹洪は短く答えた。
 「……洪将軍」
 「何だ」
 「兜を取っても宜しいでしょうか」
 「何でだ」
 「このままでは少々痛いので」
 曹洪は、阿呆か、と呆れた声を上げる。だが、言いながらも緒を解き、兜を取った。結い上げた黒髪が現れる。隠れていた首筋が姿を見せた。徐晃はその後ろ姿をぼんやり眺めてから、再び頭を寄せる。肩口に顔を埋めるように載せた。
 「おい」
 耳元に、曹洪の首筋が当たる。肌の温かさが伝わってくる。血の通った温かさだ。
 「洪将軍」
 「……今度は何だ」
 曹洪の普段は、居丈高とも取れそうな態度だと言うのに、意外と付き合いの良い面がある。少し苛立ったような声ながらも、返事をする曹洪に徐晃は顔を埋めたまま微笑む。
 「好きです」
 何気なく、挨拶でもするかのように言った。
 「………………………………はぁ?」
 たっぷりと沈黙してから、曹洪は素っ頓狂な声を上げる。その声にまた徐晃はくすくすと笑った。
 「……お前な、ふざけておるならわしは戻るぞ。お前のくだらん冗談に付きあっとる暇はない」
 そんな暇はないのに、わざわざ陣地からここまで馬を駆けさせてきたのは曹洪だ。
 「ふざけておりませんよ」
 「……あーあー、そうだな、お前は普段からふざけた奴だから、それが当たり前だものな」
 「酷い言われ様ですな」
 「だったら行動を改めろ」
 徐晃は笑ったまま答えなかった。
 「洪将軍は、一度も言ってはくれておりませんでしたな。そういえば」
 「何がだ」
 「好きだと」
 「──────わしは帰るぞ、徐晃!!」
 徐晃が頭を載せていたのも構わず、曹洪は足を踏み鳴らして歩き出した。ぬくもりが消えて、徐晃はすぐに手を伸ばす。
 「お待ちくだされ。一言でいいので、言ってはくださりませんか」
 「断る!」
 片手を掴むと、曹洪はそれを振り払うように腕を振ったが、徐晃は離さなかった。
 「洪将軍」
 「断ると言っておるだろう! だいたい脈略がなさ過ぎるぞ、何だってそんなことを」
 「今、言いたくなったのです。聞きたくなったのです。ここで別れたらまた暫くは会えませぬし」
 「あのな」
 「……今生の別れになるやも知れませぬし、な」
 曹洪の眉が、ぐぅっと寄って、眉間に深い皺が刻まれた。
 「………………馬鹿か、貴様」
 だが、いつもならばここで拳が飛んでくるのだが、曹洪は怒りに眉を吊り上げたまま、低い声でそう言った。
 「何を感傷的になっておるか。いつ、どこで、何が起こるかなど、軍人の道を選んだときから分かり切ったことだろうが」
 「ええ。だからこそ、悔いなど残したくありません」
 「だからと言ってそれを今求めるな。そんなもの、何故わしが言わねばならん」
 「私にとってそれが重要だからです。最後かもしれない、などと言うよりは、むしろ、ただ言葉が聞きたいだけなのやも知れませぬな。……どうも何やら、ここが現世なのか常世なのか。それすらも不確かな気分です」
 「………………」
 「……あなたは、よく怒り、よく笑う。あなたの声を聞いていると嬉しくすら思うのですよ。だから」
 曹洪の手を包み込むように握った。
 「私が一番聞きたい言葉を言ってくださりませんか」
 「………………」
 曹洪は徐晃から視線を逸らして暫く黙り込んだ。それから何度か口を開きかけたが閉じる、と言う行動を繰り返す。そして、やおら顔を上げると、
 「誰が言うか」
 「………………」
 舌でも出しそうな勢いで言い切った。
 「洪将軍」
 「言わん。言わんぞ。少なくとも今、ここでは絶対に言わん」
 「……ではいつならば言ってくださいますか」
 「──────お前の今際の際になら言ってやる」
 言われて、徐晃は目を丸くするように曹洪を見た。
 「………………今際の際、ですか」
 「そうだ。いい加減、手を離せ」
 最後の最期。
 徐晃はそれを聞いて手を離す。だが、今度は正面から抱きしめた。
 「おい! 徐晃!!」
 「……十分すぎる答えですな」
 「何がだ!」
 「では、今際の際まで待ちます。ですが、聞いたら嬉しくて、寿命が延びそうです」
 「だったら言わん」
 「それは、ご勘弁を」
 曹洪の首筋に顔を埋めながら、徐晃は微笑んだ。










設定としては219年の、関羽さんが討たれたときの話です。横山版では徐晃さんは蜀軍に容赦ないですが、他の作品だと、結構関羽さんと仲がよい、と言うか武人として認め合っているので、その要素を少し含んでおります。

不安定な徐晃さんとそれを受け止める曹洪さん。普段と逆な感じでお送りしました。時にはこういうこともありではないかと。
今際の際の告白。これは元ネタがあって、隠れた意味に『今際の際を見届けるまでずっとそばにいる』と言うことも含まれていたり。……後のことを考えると切ないものがありますが。横山版の場合、色々と。
それにしても曹洪さん、言ってやる、と言うことは認めたのか。自分で。
曹家従兄弟の中で曹操はとても正直に気持ちを言いそうですが、仁さんと曹洪さんはぎりぎりまで言わなそうなイメージです。なかなか苦労しますな、李典さんと徐晃さん。

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