真赤―まそほ―

抱擁


 「洪殿」
 仕事が終わって帰宅し、食事が済んで片付けも終わらせ、一息ついた時だった。
 「何だ」
 食後の一杯を傾けながらテレビを見ていた曹洪が、ソファの隣に立った徐晃に視線を向ける。
 「抱きしめても宜しいですか」
 突然の言葉に曹洪は飲んでいた酒を勢い良く噴き出した。
 「ふ、げほっ、何を、ふざけたこと、を、ごほっ、言っとるんだ、お前は!!」
 そんな曹洪に徐晃は慣れた様子でタオルを持ってきて渡す。引っ掴んで取り上げると、曹洪は咳き込みつつ、口元を拭いながら徐晃を睨み付ける。
 「ふざけてはいないのですが、突然ではありましたな。実はですね」
 「……あ?」
 徐晃は曹洪のすぐ側に腰を下ろす。その行動に何となく嫌な予感を覚えて、曹洪は後退りをした。
 「今日、休憩時間にテレビを何の気なしに見ていたらですな。とある番組でこんなことを言っていたのですよ」
 曰く、『ハグ』は体に良いコミュニケーションだ、と。
 「……何だそれは」
 「何でも、抱き合うことによって『快感』と『安心』と『充実』を得られるのだそうです。『快感』は美味い物を食べたり飲んだりするときに、『安心』は休息や風呂などに入ったときに、『充実』は女性が子供を産んだときに強く得られるものだそうです。ですが、食べることや、煙草や酒を嗜むことで得られる快感は擬似的なもので、体にストレスを同時に与えているんだとか。ですが、抱き合って得られるそれらの効果は、自然と得られるもので、ストレスがかからないそうです」
 「………………それで?」
 「はい、なので、抱きしめさせてください」
 「嫌だ」
 即答した。
 何故そのようなことを言うのか、と言う理由は聞いたが、曹洪は思い切り拒絶した。
 「洪殿の体に負担をかけず満足を得られるのですから、良いと思うのですが」
 「そんなこと、していらんわ。だいたい、満足を得られると言うが、それはお互いが好意を持っていればこそだろうが。片方が相手を嫌っていたら、ただの迷惑行為にすぎん。むしろストレスが溜まるわ」
 「ならば私が抱きしめても問題はないと思います」
 「あるだろうが!!」
 苦い顔をする曹洪に徐晃は平然と答える。その態度に思わず曹洪は語気を荒くした。
 「俺の都合も考えんで何が問題ないだ!お前にそんなことをされたらストレスが溜まりまくる!」
 怒鳴る曹洪を徐晃は特に言い返しもせずじぃっと見ている。その視線に、曹洪は居心地の悪さを覚えて、それ以上怒鳴るのをやめてしまった。徐晃の座ったような視線は、真正面から見据えられると正直怖い。
 「そんなに嫌ですか?」
 「何?」
 相変わらず感情の見えない表情で、声にも何ら変化なく、徐晃が尋ねる。曹洪は片眉を跳ね上げた。
 「私は貴方を抱きしめたいですよ。その、体に良いという理由などなくとも抱きしめたいと思います。私は貴方が好きですから。駄目でしょうか?」
 さらりと何のてらいもなく徐晃が言う。言われた相手の曹洪は、その何とも恥ずかしい台詞に虚を突かれ、しかし徐晃の平然とした態度に混乱し、暫し言葉の意味をうまく理解できずにいた。だが、次第に飲み込めてくると、それは見事に顔を真っ赤に染めてしまった。
 「なっ、おま、何を、あ、阿呆か!! 若造でもあるまいに、恥ずかしい台詞を吐くな、気色悪い!!」
 「声が上擦っておりますよ、洪殿」
 「やかましい!!」
 激しやすい曹洪に慣れているように、がなり立てられても徐晃は落ち着いている。手を拳にして握り締めて今にも殴りかかりそうな曹洪に、手を伸ばす。拳を収めさせるように手の平を覆い被せた。
 「抱きしめて良い効果が得られるなら、私の考えは一先ず置いておいて、実行してはみませんか。本当に嫌でしたらこれ以上は申しません」
 「………………勝手にしろ!」
 拳に乗せられている手はただ置かれているだけで、その選択を任すようなやり方に、曹洪は眉間に皺を寄せた。これで頑なに拒否をし続けるのは、まるで器の小さい男だと言われているような気がしてならない。徐晃にそんなつもりはないのは分かっているが、曹洪自身がそう思ってしまい、歯を噛み締めてから、半ばやけくそのように言い捨てた。
 「それでは」
 言うが早いか、乗せていた手で曹洪の腕を緩く掴むと、もう片方の手は腰へ回す。そして徐晃は自身の体と曹洪の体をお互い寄せるようにして柔らかく抱きしめた。
 「………………」
 徐晃の肩口に顎を乗せるようにしてその抱擁を受ける曹洪はとてつもなく苦い表情だった。掴まれていた腕は解かれ、徐晃の手は背中に回されている。触れ合った場所から、次第に互いの体温が感じられた。
 「やはり曹洪殿は抱き心地が良いですな」
 「うるさい」
 背中をゆっくりと撫でさすりながら、徐晃はしみじみと言う。曹洪はごつごつと筋肉ばかりや骨ばかり、と言うわけでなく、少し脂肪が張っている。徐晃はその柔らかさが好きなのだが、曹洪自身はそう言われてもあまり嬉しくはない。
 「曹洪殿、片足だけで宜しいので、私の方へ載せてくだされ。その方がもっと抱き寄せやすいので」
 「調子に乗るな」
 「すみません」
 そのきつめの言い方に、少し笑いを含んだ声で徐晃は謝る。頬を摺り寄せるように首を動かし、その温かな体を抱きしめる。曹洪は何もせずにされるがままだった。徐晃が酷く幸せな様子で自分を抱きしめる姿は、いくところまでいってしまった関係の今でも、不思議でしょうがない。
 「徐晃」
 「はい」
 「………………いや、いい」
 口を開きかけて、曹洪は言葉を飲み込む。そんな曹洪に、抱きしめたまま、ちらりと視線を徐晃は向けたが、何も言わず、ただ更に深く抱きしめた。衣服越しに伝わる体の温かさがとても心地が良い。
 「……確かに、こうしているだけで十分な満足を得られますな。体に良いと言うのも頷ける。洪殿は如何ですか」
 「………………」
 暫く徐晃に抱きしめられていて、慣れてきたか投げやりになっているのか、曹洪は何も言わずに身を任せている。不覚だが、徐晃の温かさはけして嫌ではない。あれだけ気色悪いだのなんだの言ってはいるが、実際はそれほどでもないのだと言うことは分かっている。だが、それを安易に認めてしまうのが嫌だった。言い逃れの出来ない間柄だと言うのに、最後の悪あがきとでも言うのか、自ら受け入れた言葉を吐くのだけはしたくなかった。
 背中をゆっくりと撫でる手も、寄せられる頬も押し付けがましいものではなく、目を閉じれば、その温かさに自分から身を寄せたくなる。女を抱きしめるような柔らかさなど何もなく、硬い体はともすれば痛みを覚えるが、その懐の温かさは不快ではない。『快感』と『安心』と『充実』。確かに言葉に近い物を曹洪も得ていた。だがやはり、それを言葉にしようとは思わない。
 「徐晃」
 「はい」
 再び名前を呼ぶと、徐晃は静かに答えた。
 「………………眠い」
 ポツリとこぼした言葉は、曹洪なりの妥協した台詞だった。抱きしめられていて、眠い、と言うのは、それだけ相手に。実際、とろりとした眠気が頭に横たわり始めているのを感じていた。
 「……では、寝ましょうか」
 ここで『やはり洪殿も抱き合うことで満足を得ているのですな』などと言われでもしたら、曹洪は間違いなく徐晃を殴るか突き飛ばしていただろう。徐晃は仄かに笑みを含んだ声でそれだけ言って、体を離した。急速に温かみが消え失せて、僅かな名残惜しさが込み上げる。それに憮然と顔をしかめる曹洪の眉間に徐晃は口付けた。
 「ここで寝てしまっては風邪を引きますからな」
 頬を、指の背でひと撫でしてから徐晃は立ち上がり、先に寝室の方へ向かった。残された曹洪は撫でられた頬をこするように手の平を当てると、不機嫌な顔をしたまま、徐晃が行った寝室へ足を向けた。










実家に帰っていたとき、何の気なしに見ていたテレビでこんなことを言っていました。ちょっとうろ覚えなので、確かではないのですが。科学的に証明されているらしいですよ。
抱き合うことによって得られる満足感は、やはり好き合っている人同士じゃないとなーと、曹洪さんの言った台詞は私の意見です。実際好きでもない人相手では満足感など得られるはずもない。抱きしめられて嫌ではなかったら、多少なりとも相手に気を許している部分はあるんじゃないかな。
徐晃さんはそんな科学的なこと言われずとも十分に満足しているのでいくらでも抱きしめます。曹洪さんも嫌ではない。けして認めようとも言葉にしようともしない曹洪さんに徐晃さんは可愛いなぁと思っているといい。

少し現パロの設定を煮詰めてみました。
仁典の場合、曹仁さんは曹操の会社で働いていて、李典さんも元々そこで曹仁さんの下で働いてましたが、曹仁さんと暮らすようになってから仕事をやめて在宅ワークをしている、と言う設定にしてます。ので、家事はほとんど李典さん担当。たまに曹仁さんも手伝います。会社に行くときはゴミ投げもしてますよ。歳は何となく38と26くらいのイメージ。

晃洪の場合は二人とも曹操の会社で働いてます。一応曹洪さんの方が先輩で上司。歳は同じくらいですが。35、6くらい?
帰宅するときは仕事の関係と、曹洪さんが嫌がるので一緒に帰ることはほとんどありません。家事はもっぱら徐晃さん担当。徐晃さんは面倒見がいいと思うんだ。しかし何でもかんでも徐晃さんがやってくれていると自分が情けなくも思えてくるので買い物は曹洪さん担当です。物を買うにあたっては財布の紐が固い曹洪さん。安い店とか知っていたり値切りとかうまいと面白いと思います。一応一流企業で働いているはずなのに。


戻る

designed