真赤―まそほ―

陽溜まり


 とある日の昼下がり。
 今日は天気が良く暖かで、特に急いた出来事もなく、珍しく穏やかな空気が辺りを包んでいた。そんな中、曹丕は幾つかの竹簡を手に持ち、執務室へ向かっている途中だった。
 「ん?」
 ふと、庭を臨む廊下を歩いていたとき、隅の方にそびえる木の影に、見覚えのある後ろ姿を見た。それほど太くない木なので、その後ろ姿は木の幹に隠れていない。それが誰なのかは一目瞭然で、それだけならば特に気にせず曹丕は執務室へ向かったのだが、その後ろ姿から更にひょっこりと、別の腕が覗いて見えた。
 「あれは……」
 腕だけでは判断しづらいが、衣服が見覚えのある物だ。おそらく、これから向かう執務室にいるはずの人物。曹丕は竹簡を小脇に抱え、廊下の囲いを飛び越えた。




 「おい」
 「うあっ?!」
 後ろから声をかけると、木の幹に寄り掛かっていた人物は大層に驚いて声を上げた。
 「そ、曹丕さまぁ!」
 「何をやっているんだ、許チョ」
 ふくよかな声で名を呼ぶ相手を見下ろしながら曹丕は言う。そこにいたのは親衛隊の許チョだった。驚いた顔をしていた許チョは曹丕を見上げてから、はっとなって懐にいる人物を見た。それからほっと安心したため息をつく。曹丕はその人物に視線をやって、少し呆れたように息を吐いた。
 「ふん、やはり、父か」
 木に寄り掛かる許チョに、更に背を預けて眠っていたのは、曹丕の父で魏王たる曹操だった。
 「曹丕さまぁ、脅かさないでくれよぉ」
 眠っている曹操を気遣ってか、小さな声で許チョは言う。
 「後ろから声はかけたが、そんなに大きな声ではなかっただろう。それに背後からの気配に気づかんお前もお前だぞ、許チョ」
 「……すまねぇだ」
 言われて許チョは申し訳なさそうに眉を下げる。しかし曹丕は許チョが普段はそうではないということを知っている。確かに動きは鈍重ではあるが、人の気配にまで鈍いわけではない。曹操の護衛をやっているのだ、ただ力があるだけでは務まらない。
 「それで、こんなところで何をやっているんだ。私はこれから、この竹簡を父に届けるため執務室へ向かう途中だったのだが、その父が何故ここにいる」
 「怒らねぇでくれよぉ、曹丕さま。ちょっと息抜きしてただけなんだぁ」
 問われて、許チョは困った様子で曹操を庇う。
 「息抜き、な。叔父に見つかったら雷が落ちると思うが」
 「と、惇将軍には黙っててくれねぇだか、曹操さまも疲れているんだよぉ」
 片目の、怒るととてつもなく怖い男を思い出して、許チョは懇願する。曹丕は言うつもりはまったくないので、話を続ける。
 「……疲れていると言うより、眠れていないのではないか。頭痛が酷いとまたぼやいていたしな」
 「うん、そうみたいなんだぁ。だから、眠れるときに寝ておいた方がいいと思って、おいら……」
 「別に寝ているのを責めているわけでも咎めているわけでもない。だが、それならばもっと分かりやすい場所にいてくれと思うだけだ。父の気まぐれに振り回されるこちらも大変だからな」
 曹操は思い立つと即断即決即実行である。彼に関わる人は皆、多かれ少なかれその対応に追われる。そしてそれに付き合わされるのは大抵従兄弟たちと親衛隊だ。息子である曹丕と言えば、それらに付き合うのではなく、その後始末や穴埋めをすることが多い。誰に言われたわけでもないが、自然とそうするようになってしまったのだ。
 「……それにしても、よく眠っているものだな。私が知る限り、父が熟睡しているのを見るのは初めてだ」
 そもそも眠っている場面に出くわすこと自体少ないのだが。小さな声でとはいえ、すぐ近くの会話に、なんら反応も示さず静かに寝息を立てている父親を不思議そうに眺める。
 「それだけ眠いんだなぁ、きっと。今日は暖かくて天気も良いし、昼寝するにはぴったりだしなぁ」
 葉の影で直接日は当たらず、風も心地よい。誰でも眠りを誘われそうな陽気だ。だが、許チョにもたれかかり眠っている父の光景を見ていると、それだけではないだろうとも思う。
 「お前はずっとそうしていたのか?」
 「ん? ああ、そうだよぉ。昼飯食べた後くらいからかなぁ」
 にこにこと邪気のない笑顔で答える。ひらりと一枚、葉が曹操の胸元に舞い落ちてきて、許チョは静かにそっと、それを取る。気持ち良さそうに眠る曹操を和やかに見守っていた。
 「………………」
 許チョは無垢だ。十分な大人であると言うのに心は童のように純粋である。学問や政治に関しては知識に乏しく、難しい話にはほとんどついていけない。戦では、その持ち前の力と野生の勘とでも言うのか、鋭敏なものを持っていて、それらで曹操を守っている。つまりは、戦でしか役に立たない人物とも言えた。
 才を愛する曹操は、例えすべてに秀でていなくとも、一つ抜きん出たところがあれば、それを重用した。曹操は、許チョの力を求めた。
 ──────と、曹丕は思っていたが、昔から、それは微妙に合ってはいない、と言う気がしていた。それは、時折曹操が見せる酷く幼い表情のせいだった。普段はどちらかと言えば、子供のような許チョを曹操が甘やかしている、と言う風に見えるのだが、今はむしろ、曹操が許チョに甘やかされているように見える。甘やかされていると言うより、
 『……気負いがないとでも言うのか』
 家族の前では父や夫や主人という強さ、従兄弟たちの前では心の知れた気安さがある。わがままも言い放題だ。だが、どこかに『王としての曹操』がいる。それはおそらく、自分たちが曹操を、父や従兄としてでなく、上に立つ者としてみているからだろう。それが、許チョの前ではないのだ。許チョの前では曹操はただの『曹操』でしかない。許チョが無垢故に、地位などの力関係にも、血の繋がりにも拘りがなく、ただ曹操個人が好きであるから守っている。それだけなのだ。まっさらなままで相手を見る許チョは、曹操にとってはなんら気負わずにいられる相手なのだろう。
 許チョの懐で眠る曹操は、曹丕の知る父親としての曹操でも、魏王としての曹操でもなかった。
 『……まるで親鳥のそばで眠る雛のようだな』
 歳は曹操の方が上だが、今はどう見ても許チョが親鳥だ。
 曹丕は竹簡を抱え直し、二人に背を向けて歩き出した。
 「曹丕さま、どこ行くだぁ?」
 「執務室だ。私が処理できるところは処理しておくから、父の目が覚めたら早く戻るように伝えておけ」
 「うん、分かっただよぉ」
 珍しいものが見れたと言う気分と、少しの羨ましさを抱えながら、許チョの朗らかな声を背に、執務室へ向かった。










無双の許チョと曹操はジ○リのト○ロとさ○きだと思う。
でもって主従の関係が薄そうに思えます。一番薄いのは蒼天。従として主を守っているというより、曹操が大事だから側にいる、というような。他の方たちもそうだと思いますが、そこにやはり色々なものが絡んできていると思います。
無双許チョは本当にただただ純粋に曹操が好きだから一緒にいたい、と言う感じがします。曹操も何ら翳りもない無垢さに癒されていそう。主従の関係が薄いと言っても、友人関係、というわけでもなく。かと言って親子のような関係でも兄弟のような関係でもない。そう考えると、一番ぴったりなのはやはり主従?なのですが、ちょっと違うような、と言う感じでお願いします。
曹丕が親鳥と雛のように見えると言ってますが、眠っているその姿がそう見えるだけで、そういう関係に見えると言うわけではないです。

横山でも蒼天でも基本は一緒(王ではなく曹操個人として見ている)ですが、捉え方によって違う印象に。

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