変わらないもの
蜀に陣を構え、これから覇道へ一直線だと言う前に、劉備軍はその地盤を安定させるため、各々がそれぞれの持ち場で精力的に働いていた。特に諸葛孔明は人が変わったように蜀内の秩序を取り戻すため尽力している。
武将達は元からいた劉備軍の軍勢だけでなく、蜀にいた軍も吸収する形となったのでその調練に追われている。何せ、外部から攻めるに難い天険の地であった蜀は、ここしばらくまともな戦をしたことがないのだ。兵の質が格段に違う。指示通りに動けない兵は、本人だけでなく周りも巻き込み、統率を乱し、敵に付け入られる隙になりかねない。
しかし旗印でもある劉備は、軍のことだけでなく、内政や外交にも耳を傾けなければならない。それぞれに専門の者がついているとはいえ、当然ではあるが、かなり忙しい身であった。
とある、昼下がり。
調練から戻ってきた馬超が遅い昼食を簡単にとった後、食後の腹ごなしにと歩いていると、珍しいものを見かけた。それは庭の飾りにと置かれた岩の上で竹簡に目を落としている張飛の姿だった。
張飛とは話す方ではないが、その人となりはここに来てから大分理解した。劉備軍古参で、大将である劉備とは義兄弟の仲。豪放磊落で、少々気が短く、怒ると口と手が両方出る武人だ。だが、乱暴だが不思議と周りからは嫌われていないようである。
馬超自身は特に好感はないが嫌悪もない。だがどことなく張飛は馬超を好いてはいないようだった。
張飛は馬超から背を向けているので、気がついていない。
「………………?」
よく見れば、その張飛の側に誰か寝そべっていた。西涼育ちの馬超は目がよく、少し目を凝らすとそれが誰だか分かった。劉備だ。
どうやら劉備は張飛の腿に頭を乗せて昼寝をしているようである。そしてその張飛は大人しく竹簡を見ている。何とも不思議な光景だった。
「お、孟起、どうした?」
そこへ気さくに声をかけてきたのは、やはり古参の簡雍だった。機嫌よく鼻歌交じりで歩いてきた。
劉備軍は主君である劉備を筆頭に、特に古参と思われる者達の反応は驚くほど明快だ。新参である馬超に対して、まるで最初からここにいたかのように気軽であるか、逆に量るように厳しい視線で見るか、大抵そのどちらかだ。簡雍は元からの性格かもしれないが、前者で、頑なな性格である馬超も意外と気持ちを許していた。
「簡雍殿。いや、あちらに劉備殿と張飛殿が」
「んー? おお、あの後ろ姿は確かに益徳じゃな。寝っ転がってるのは大将? よく見えるのう」
目の上に手をひさしのようにかざして目を眇める。
「張飛殿が竹簡を読んでいるようだ」
「ははっ、なるほどなぁ」
てっきり、珍しい、と驚くか何かの反応を見せると思った簡雍は、何故か頷いて納得している。疑問を顔に浮かべている馬超に気がついて、簡雍はにかっと笑って見せた。
「たまーにな、あるんだよ」
「たまに?」
「ああ。大将が益徳に引っ付いて寝てるじゃろ。ああなるとしばらく離れねぇから、まぁ、暇つぶしだな」
「……こう言っては難だが、張飛殿ならば劉備殿が寝ていても、あまり構わず行動しそうだが」
誰でもそう思うであろう意見を馬超は簡雍に尋ねる。
「んー、そうでもねぇんだな、これが。普段はそうだけど、今回の場合はそうしねぇのさ」
よく分からない言い回しをされて、馬超は首を傾げた。普段は? 今回の場合? 何がどう違うのか。
「いつ頃からか分からんけどな、たまーに、大将はああやって益徳にくっついて『休む』んじゃ。普段との違いってのは本人同士にしか分かんねぇみたいでな、ああやって益徳が大人しいと大将の『休息』ってやつだ」
「……何故、張飛殿の側で休まれるのだろう」
張飛の立派過ぎる腿では枕には高すぎて寝心地が悪いだろう。温められた岩肌は気持ちが良いかもしれないが、眠るには堅すぎる。
「体を休めるっちゅうよりは、英気を養う、ってぇ言うのかね。本当、たまーにさ」
「張飛殿が劉備殿の気を満たすものを持っている、と言うことだろうか」
「さぁねぇ。ただ、大将に取っちゃ益徳と、ここにゃいないが、雲長も含めて何かで繋がっているのは確かじゃな。因みにアレ、雲長の奴もするぞ」
「……関羽殿もか」
馬超は関羽とは逢ったことはないが、話はよく聞いている。仁義に溢れた人物。誰からも頼りとされる度量の深さがあるが、少々頑固で、融通のきかない点もあるとか。
劉備は包み込むような深さがあるが、同時にどこか甘えるような気さくさがある。それに、普段からして、他者との触れ合いが多い人物だ。馬超自身のときもそうだったが、感情を抑えつけることなく表す。だから、ああやって誰かの側で眠っている姿は特に違和感はない。だが、厳格な印象のある関羽が。
「流石に大将ほど開けっ広げじゃないけどな。でも不思議なもんで、大将と雲長がそうやってるのは見たことないな。大将が頼りにするなら雲長だけど、ああやるのはやっぱり益徳だからかねぇ」
「張飛殿の何が良いのだろうか」
純粋に疑問である。
「大将が言うにゃ、『落ち着く』らしいぞ。綺麗な女とかと一緒にいるのとはまた別でな。かみさんと一緒にいるときも満たされるが、満たすもんが違うらしい。……ちぃとかみさんが満たしてくれるところに隙間ができちまったんで、なおさらかね」
簡雍は少しだけ遠い目をする。
「大将は今、どんどん先に進んどる。周りの変化もそりゃあ激しい。世の中も、人もな。だが、益徳の奴は大将がどんなになろうと大将を大将のまんまで扱ってきたからなぁ。変わらねぇもんを持ってるのさ。それが落ち着くみたいじゃな。あいつはわしの目から見ても、出逢った頃から根本的なところはなーんも変わってねぇ。あ、成長してないって訳じゃないぞ。昔よりは我慢を覚えるようになったし、ああやって一応竹簡を読んだりもする」
からからとできの悪い弟を語るように簡雍は言った。
「……変わらないもの、か」
「ん?」
「いや、……張飛殿は意外と人を癒すところがあるのだなと」
「癒すゥ?!」
馬超のその言葉を聞いて、簡雍は思い切り笑いを噴き出した。
「い、癒すたァ、また、あいつにゃ似合わねぇ言葉だな!」
「少なくとも、劉備殿や関羽殿にはそうなのだろう」
「んー、まぁ、そうなんだけど。でも似合わねぇなぁ、それあいつに言ってみたらきっと、真っ赤になって全身掻き毟りながら怒鳴るぞ。気色悪いこと言うんじゃねぇえーとか言ってなぁ」
想像に難くない。馬超もその様子を浮かべて、少し笑いを零した。
「ああ、どうやら起きたようだ」
視界の端に、劉備が体を起こした姿が見えた。馬超が視線をやると簡雍も見る。劉備は長い手を思い切り伸ばし、首を鳴らすような仕草をして張飛に何やら言っている。すると張飛が突如立ち上がり、片足を踏み出して劉備を指差して怒鳴りだす。
「阿呆かー! そんなに寝たけりゃ女のところに行ってきやがれってんだ!! 何が悲しゅうて寝心地のいい腿になんぞならにゃいかんのじゃあああっ!!!」
ここまで聞こえてくる。その台詞で大体劉備が張飛に言った内容が想像ついた。劉備は怒鳴られているがどこ吹く風でけらけらと笑っている。それから鼻息も荒い張飛を宥めるように背中を強く叩いている。そして馬超と簡雍に気がついたようで、手を上げて振ってきた。それに簡雍は同じように手を振り、馬超は拳と手の平を合わせて軽く礼をした。
「……なるほど、確かに『休息』を取られたようだ」
「うん?」
「表情が以前より穏やかだ」
普段から明るい、柔和な笑顔をする人物だが、今の顔はそれよりも落ち着いて見えた。張飛の側での休息がきいたのだろう。
己の側にいる、変わらぬ何かを持っている者の存在というのは、どれほどのものなのだろうか。けして過去を懐かしむようにすがる存在ではない。はたから見れば普段と変わりのない気安さと気軽さだ。それでも確かに何かを満たしている。
「……少し、張飛殿の印象が変わったやもしれん」
「お、そうかい? ま、仲良くやれ、ってのは難しいかもしれんがのう。張飛はあの通りじゃし、お前さんも相当頑固そうだ」
「………………」
しみじみという簡雍に馬超は答えない。
「案外、正面きって一度やりあった方がいいかもしれんなぁ。お前さん方なら」
「張飛殿がするというなら相手はする。だが、特に何もないのにすることはないだろう」
「難しく考えるなって! あ、でも無茶はしすぎるんじゃないぞ。二人して手加減知らない気がするから」
「だから」
仕掛けてこない限り、馬超には喧嘩をする理由がないので、やるつもりはないのだが。簡雍は言いたいことだけを言ってこちらへ向かってきた劉備に声をかける。劉備の後を、竹簡を巻きながら張飛がついてきた。視線が一度こちらへ向いたが、払いのけられるようにそっぽを向かれる。その様を見て、馬超は苦笑しながら簡雍と同じように劉備の元へ向かった。
了
初の蒼天話。
そしてその後の本編の大喧嘩(未満)へ続くという。
張飛は、(いくら涼州でその人ありといわれるほどの人物でも)新参の馬超が自分と同等に扱われるのが納得いかず、喧嘩ふっかけるのですが、一応理解することは覚えているので途中で引きます。また馬超の礼儀正しい(張飛にしてみれば『すかしている』)言葉や態度が癇に障るらしい(笑)趙雲さんのときはそうでもなかったのに。
多分その後は、張飛の鬱憤が溜まると馬超もそれを受けてお互い酷い怪我をしない程度にガチでやりあうようになる。
関羽さんの張飛充電方法は背中合わせで一眠りです。三人一緒の時は夜、そろって雑魚寝。これが一番充電される。でも軍が大きくなるとなかなか無理なんだ…(つД`)
劉備さんの場合は充電するわけじゃなくてもよく張飛にくっついて眠りますが、この場合は張飛は乱雑に扱います。その違いは本人達にしか分からないらしい。張飛は劉備さんに一番抱きつかれているので抱きつかれ慣れをしていそう。
張飛は兄二人の癒しだと思っていますが何か。
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