その果てまで 起死回生となるだろう策を破棄され、残るは忸怩たる思い。無念が胸裏を支配する。何故、この男はこの状況になっても周りが見えないのだと、先を見通せないのだと腹立たしく思う。そしてあとは転げ落ちるだけ。水攻めにあい、連なるように造反者が出、捕えられてしまう。ああ、ここまでだと唇を噛み締めた。
かつて仕えた男の前に引きずり出され、己がしてきた結果を問われる。だが、うなだれず、いっそ傲然と顔を上げて、隣に縛られて跪く男を一瞥した。
「こやつが、私の策を用いていれば、こんな事にはならなかっただろう」
呂布が不機嫌そうに顔を歪めた。その顔は相変わらず幼い子供のようで呆れ果てる。だが同時に、それこそが、己が曹操よりも呂布に仕えようと決めた要因だった。
呂布は先の読めぬ愚か者だが、嘘偽りがない。ただただ純粋に、己の思うとおりに行動しているだけだ。強い武力を持ち、それを誇示するが、必要以上の殺戮はしない。私情に走り、身近な者や甘言には弱いが、それは己を偽ることができず、他人を騙すこともできない、と言えた。ならば、その男を制御し、天下を平定してみせようと思った。それができる、と思ったのだ。
ところが、呂布はその制御の手を振り払って私情を貫いた。その襟首を引っ掴んで正論を説いて止めようとすれば臍を曲げてそっぽを向く。そのくせ、どうしようもできないことが起きれば、真っ先に己を頼りにしてくる。本当に、どこの子供だ。結局、その傍若無人に人々はついて行けず、造反された。そらみたことか、と思うが、その行いを御しえなかった己にも情けなさが湧いていた。
「まったく、情勢も分からぬ愚か者だが、それを御しえなかった私にも責はあろう。無念ではあるが、少なくとも、貴様の元で栄達するよりもはるかにましというものだ」
「随分な言われようだ。ここで潰えたその知謀を新たに生かそうと思わんのか。わしの元でなくとも、他の者の知者となることもできよう。その男よりもお前の力を必要とする者は多かろうに」
そう言うが、どうせなら己の元で力を奮え、と言わんばかりの態度に苦虫を噛み潰す。
「残念だが、その提案には乗れぬ。何故なら私自身が、この男の軍師であると決めたからだ。男が一度決めたことを貫き通さずしてどうするか!」
「その心意気は立派だ。だが、お前は貫き通すところまで既に貫いている。ならばここで、新たにお前を求める者の力となることはけして恥ずべき行動ではないだろう。むしろ今のお前は、視野を狭め思考を停止しているとは言えぬか」
「なんとでも言え。例えこの男がどれだけ愚かであろうと、お前にはない美点を持っている。お前に仕えぬ理由はそれだけで十分だ!私は、私自身が決めたことを覆しはせん!」
吠え猛り、曹操の誘いを一刀両断に斬り捨てる。
「そやつが私より優れている点と言えば、個人の武以外には思いつかぬがな」
「分からぬならばそれでいい。いや、一生お前には分からぬだろうよ。私とて、分かりたくなかったがな」
「おい」
それまで不機嫌そうに黙っていた呂布が、不意に低い声で会話に入ってきた。
「さっきから聞いていれば、お前は俺を褒めているのか貶しているのか、どっちだ」
「褒めているのですよ、ええ、これ以上ないくらいに褒めています」
「アレのどこがだ!!」
「上面の言葉の意味しか捉えられぬから、あなたは他の者らの甘言に踊らされたり騙されたりするのです!いい加減学習なされ!!」
「俺を馬鹿にしているのか!!」
「私はただの馬鹿は相手にしません。それにあなたは馬鹿なのではなく単純なだけでしょう」
「大して変わらんだろうが!」
「雲泥の差がありますよ。これだけ褒めているのにまったく、もう少し厳しい言葉にも耳を傾けなされい」
呆れたようにため息をついてやれば、呂布は押し黙ってこちらを睨みつけている。
「さあ、我らの命運はここまでだ。早く処断するがいい。下手に我らを飼いならそうと思うならば、その首、今度こそ掻き切ってやろう」
その視線を無視して、曹操に胸をそらして迷いのない声で告げた。曹操はそう言われても、怒るでもなく、ただ静かにこちらを見下ろしている。
「おい、勝手に俺のことまで決めるな!」
「ここまできて命が惜しいのですか、あなたは。どうせ曹操の下についたとしても納まりきれずに反旗を振りかざすでしょうよ。それの繰り返しだ。違いますか」
「…………」
呂布は誰かの下にはつけない。誰かに飼われる獣にはなりはしない。たとえ、どれほどその武力を求めようとも、一つの枠に納まることはない。それが呂布だ。裏切りを続け、その先に待っているのは、どう足掻いても死だ。それも惨めな。この男は孤高であり続けるしかない。そして生き抜くためには、それを補佐する者が必要だ。自分は、その者になりたかった。
「こうして捕らえられたのは、あなた自身が選んだ道の果てです。だったら最後ぐらい、潔く処断されなさい。私も付き合いますから」
「……貴様に付き合われたら、この先もずっと小言ばかりで耳がうるさいだけだ」
「それを受け入れる寛容さを身につけなさい。いつまで子供でいるおつもりか。だから負けたのですよ」
「お前にも責はあるだろうが!」
「ありますよ。あなたを御しえなかった、それが責です。だからもう少しあなたを成長させねばなりません。九泉の下までお付き合いしましょう?だいたい、そうでなければあなたは、向こうでも同じことの繰り返しでしょうから」
呂布はまた鼻白む。不思議と可笑しかった。ここで終わりだと言うのに、悔いも虚しさも確かにあると言うのに、清々しいほどの気持ちが心を染め上げていた。
「……それでいいのか、陳宮」
曹操が沈んだ声で問いかけてきた。陳宮はやはり、頭を垂れずに堂々と顔を上げる。
「もう決めたことだ。これ以上の問答は無用よ」
「家族はどうする」
「孝を知り、仁をなす者なら、たとえ不忠、不孝の私の連なりとしても命は助けるだろう。家族をどうするかを決めるのは私ではない」
「……何故、そこまでして」
寂しげに聞こえたのは気のせいだろう。陳宮は笑った。
「誰か一人でも、最期まで付き合う者がいても良かろうよ。本人は嫌がるだろうが、私がそうしたいのだ。何故か、と問われるならば、私自身のためだ」
真っ直ぐに答えた言葉に、呂布も曹操も黙っている。
「さあ、軍法を明らかにするといい。それで終わりだ」
陳宮は背を向けた。呂布はふん、と鼻を一つ鳴らすと同じように背を向け歩き出す。
「ついてくるなら、せいぜい気張ることだな。遅れても待ってなどやらんぞ」
「どうぞご勝手に。ですが、一人で突っ走って困るのは貴方です。そこをよくお考えになることですね」
「……最期まで口うるさい奴だ」
「それが私ですよ、呂布殿」
了
公衆面前で痴話喧嘩しだす人たち。
仲路版3594の呂陳は仲悪いのにお互い一番信頼していたりするので大変おいしいです。
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