半分
許チョは料理が上手い。
野営の地でも許チョ自らが飯の支度をする事がある。普段は兵士が交代で行うが、許チョが担当になると兵士たちはことのほか喜ぶものだった。もちろんそれは将校たちにも好評で、長い戦による兵糧不足でも、その少ない材料から見事に美味いものを作る。本人曰く、自分は食い意地がはっているから、だそうだ。
元々農民の出で、質素な暮らしをしていた。そのくせ大食らいだったので、ただ飯を作って食べるだけではとても足りないらしい。だから、自分でどうすれば腹いっぱい美味しいものを食べられるか考えたのだと言う。その結果、料理の腕が上がったのだ。普段、難しい話にはついていけないが、そちらならば自信があるとも言っていた。それを聞いた周りは許チョらしい、と和やかに笑う。
「曹操さまぁー、できただよぉー」
一人で職務をこなしていた曹操のところに間延びした声が聞こえた。その声に曹操は筆を置き、首を回して軽く体を伸ばした。長時間の仕事は集中力を欠く。その気になれば何時間でも何日でもこなせるが、常日頃からそればかりだとさすがに体がもたない。何より、短時間の休息を合間合間に入れた方が能率も上がる。そんな休息の時間に合わせて、よく許チョが何かしら作って持ってくるようになった。
今までも休憩中に茶を飲んだり小腹をふさぐものを食べていたが、それらも美味かったが、あるとき気まぐれで仕事を抜け出したときに食べた許チョの饅頭がことのほか美味かったので、また食べたい、と言ったら持ってくるようになったのだ。仕事状況に応じて、文官たちのや、仕事ついでに見張りも兼ねる夏侯惇や夏侯淵、曹仁の分も作ってくる。あのしかめ面の夏侯惇ですら、許チョの料理には顔を綻ばせ、時おり曹操と料理の取り合いもした。
許チョが盆に茶と、片手に蒸籠を持ってやってきた。
「今日は何だ?」
「今日は美味い魚が手に入ったから、魚肉の饅頭だよぉ。あんまり脂っこいと腹にもたれっちまうし、夕餉も食べらんなくなっちまうもんなぁ。だから蒸かし饅頭にしたんだぁ」
「そうかそうか」
卓の上を片付けて許チョがそこに蒸篭と茶器を並べる。茶の淹れ方は許チョには難しいらしく、曹操は自分でやった。小さな蒸籠を開けると、ほのかに湯気が上がり、中には小ぶりの饅頭が三つ入っている。さっそく曹操はその一つをとって頬張った。ふかふかとしたやわらかい生地の中から、魚肉の具が汁気を伴って現れる。噛み締めればぷりぷりとした弾力も感じられ、どうやら今日は海老も入っているらしい事に気がついた。細かく刻んだねぎやたけのこの香気も感じられる。
「うむ、美味い」
一口目を飲み込むとしみじみと呟いた。知らず笑顔になる。許チョも嬉しそうに笑いながら、自分の饅頭にかぶりついた。
「お前の作る饅頭は本当に美味いのう、許チョよ。何か秘密でもあるのか?」
「秘密なんて何にもねぇだよ。おいら、ちょーごーとかはいぶんとかよく分かんねぇもん。ただ、おいらがうめぇなって思うのを作ってるんだぁ」
「ははは、なるほどな、確かに美味いと思うものを作れば美味いに決まっている」
小さな饅頭は三口ほどで食べきれる大きさだった。許チョは二口で食べる。一口でも食べられるが、もっとゆっくり食え、と典韋に言われてからそうしているらしい。そして意外に食べ方がきれいだ。
「それになぁ、飯ってのは食べ物の美味さだけじゃなくて、食べる場所とか人とかで味が変わるんだぞぉ」
「うん?」
茶を一口すすりながら首をかしげた。
「皆でわいわい言いながら食べるのが、おいらは一番好きなんだぁ。天気のいい日に、花見でもしながらさぁ」
「ふむ、そうだな。一人で静かに食べるのもいいが、大勢で食べるのもまた楽しい」
「だろぉ? でも、大勢でも嫌いなやつと一緒だとまずく感じちまう事もあるんだよなぁ」
「お前でも嫌いな者などおるのか?」
曹操は食べる話よりもそちらの方が気になった。許チョはむっつりと眉を寄せて言う。
「曹操さまをいじめるやつぁ嫌いだ」
その言葉に曹操は目を丸くしてから笑い出した。許チョが至極真面目に言っているだけに、『いじめる』という、その表現が自分に使われると何故だかおかしかった。
「はは、わしをいじめる者が嫌いか。安心しろ、そのような者はまず滅多におらぬし、何より共に食事を取る事もないだろうよ」
「そうかぁ」
「そうだとも。それにもし、わしをいじめる者がおったら、お前が守ってくれるのだろう?」
「もちろんだ、それがおいらだもん。それに典韋もいるし、惇将軍や淵将軍もいるし、曹仁将軍もいるし」
「ならば大丈夫だ。皆で楽しく食事ができるな。ん、いかん、あんまりのんびり食べておったら、せっかくの饅頭が冷めてしまうな」
笑いながらも、曹操は二つ目を口に入れる。まだ十分温かで柔らかい。美味いものを食べると自然と笑顔になる。寒い時期には温かなもの、暑い時期には冷たいものを食べても気分が良くなるものだ。
側で許チョも同じようにふくふくと幸せそうな顔をしながら饅頭を頬張っている。その笑顔を見ていると、和やかな気持ちになった。
許チョの料理は許チョそのものだと思う。
人を和やかにし、笑顔で満たす。その茫洋さに腹を立てる者もいるが、許チョと付き合っていくうちに、その気持ちが削がれていってしまう。およそ、争いと縁遠そうな者だけにだ。その和やかさの塊が、乱世の奸雄と呼ばれる自分の護衛についているのは不思議な気がすると曹操は思った。
三つ目も食べ終わり、曹操は茶を飲んで一息ついた。ほ、と満足なため息が出る。だがしかし、もう少し欲しい、と言う気分もあった。腹に詰めすぎては仕事に支障が出るが、もう少し。
「曹操さま」
「うん?」
許チョが自分の蒸籠にあった饅頭を半分に割り、その半分を曹操に渡した。
「良いのか? お前のだろう」
「うん、だから、半分」
言いながら許チョは自分の分を口に放り込んだ。曹操も小さく笑ってそれを放り込む。
「美味いな」
「美味いだなぁ」
しみじみと呟いた。同時に曹操はおかしかった。許チョは一つある饅頭をそのまま丸ごと曹操に渡さず、半分に分けて渡す。食い意地がはっているとも取れる行為が、曹操にはおかしかった。
乱世の奸雄であろうと丞相であろうと王であろうと、相手が誰でも、饅頭を半分に分ける。それが許チョだ。美味い料理のように、囚われず自由だ。自分がただ曹操であると思い出される。
「許チョよ、今度は胡麻団子が食べたいのう」
「分かっただ。明日は誰かいるだか?」
「荀イクと荀攸がくるな」
「じゃあ、多めに作ってくるだよ。揚げとすり胡麻と、両方作ってくるな」
「おう、おう、楽しみだ」
それを聞いただけで気持ちが楽しく浮き立つのを感じた。
「それじゃ、曹操さま、お仕事頑張ってな」
「ああ、お前もな」
卓の上の茶器と蒸籠を片付け、許チョは鼻歌まじりに部屋を出て行った。曹操は、明日の胡麻団子の味を思い出しながら、仕事を再開する。
明日が、楽しみだ。
了
普通、目上の人に、自分のとはいえ、食べ物を半分にしてあげる、なんて事しないでしょうけれど、許チョだとしそうだな、と。
惇兄さんだと、呆れながらも丸ごとあげる。淵さんだったら笑ってあげる。仁さんだと黙ってあげる。
もちろん、曹操がすごくお腹を空かせていたら許チョも全部あげると思いますが、オロチで、本来なら敵軍とも言える相手から、自分の美学に反するからと言って、お腹すいているのに食事をとろうとしない張コウさんに、許チョが腹が減ってちゃ何もできない、みたいな事を言っていたのですよね。
許チョはそこまで考えていないかもですが、許チョは何があっても曹操を守る。それはどこにいても同じ。だけれど、お腹がすいていたら戦えない。つまり曹操を守れない。だったら敵軍でもご飯を食べる、というのにものすごい割り切りと言うか現実を見た気がした。
上手く言えないけれど、何かもう、許チョにとっちゃ曹操はただ曹操なだけなんだなぁとか夢見てみる。すごくすごく守る相手だけれど、純粋と言うか何というか。垣根がない。差がない。
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