クローバー
幽鬼は困っていた。ある一つの部屋の前で、そのドアを見上げながらどうしようかと悩んでいる。中にいるはずの人物に用事があるのだが、その人物とは一度も話したことがない。何度か、保護者であるカワラザキの爺様と一緒に会ったことはあるのだが、相手からも話しかけられたことはあるのだが、幽鬼はカワラザキの後ろに隠れて一言もしゃべらなかった。
けれども、今手に持っているものをどうにかするには、中の人物に教えを乞わねばならない。他に頼る相手が思いつかないからだ。だから幽鬼は、そのドアをノックしようと何度か手を持ち上げる。そのたびに躊躇って後ずさりをするが、カワラザキのことを思って、意を決した。
こんこん、と軽い音を二回。すると中から足音がこちらへ向かってくるのが聞こえた。
「誰だ?」
くぐもった声がドア越しに聞こえる。幽鬼はそれに返事をしようとしたが、うまく声が出なかった。だが、すぐにドアが開いた。
「お主は」
現れたのはカワラザキよりも大分背の高い、がっしりとした体格の人物。少し落ち着いた色合いの桃色のマントにスーツを着た男、樊瑞だった。
「……確か、幽鬼、だったか?」
樊瑞は立ち尽くしていた幽鬼の名前を呼んだ。それに思わず幽鬼はびくりと震える。
「私に何か用事か?」
しかし樊瑞はその様子に怒るでもなく、しゃがみこみ、幽鬼と視線を合わせるようにして、穏やかな声で問いかけてきた。その仕草に、幽鬼はカワラザキに近いものを感じ取り、少しだけ緊張を解いた。自分の目線に合わせてくれる大人はあまりいない。いつも上から見下げてこちらを威圧するようだった。相手にその意図がなくとも、幽鬼にとってはそう見えてしまうのだ。だから、樊瑞のこの行動は幽鬼の警戒心を僅かに緩めた。
この人ならば、言っても怒られないだろう。そう思う。カワラザキが信頼を置いている人物のようで、幾度も話を聞いたことがある。好意的な話ばかりで、現に今も、もごもごと言いよどんでいる幽鬼を見ても、急かす訳でもなく、柔らかな笑みすら浮かべて待っていてくれている。
「………………の……かた……」
「うん?」
樊瑞が首をかしげた。幽鬼は一度息を飲み込んで、顔を赤くしながらも声を絞り出すように言った。
「……押し花、の……作り方……知って、いますか……?」
理由を尋ねられたので、幽鬼はたどたどしくも樊瑞に説明した。
カワラザキが現在仕事中なので、幽鬼は一人で中庭で遊んでいた。というよりぼんやりとしていたのだが、偶然、四葉のクローバーを見つけたのだ。話では四葉のクローバーは持っていると幸運を呼ぶという。幽鬼はそれをカワラザキにあげようと思ったのだ。けれど、このままあげてもいつか枯れてしまう。せっかくの四葉だから、ずっと持っていてほしいと思って考えた。
悩んでいて、ふと見上げた壁に飾ってあったのが鮮やかな押し花が納められたフレームだった。花だけでなく、一緒に葉っぱも飾られていて、それならばこのクローバーも同じように出きるのではないかと思ったのだ。
だがしかし、押し花の存在は知っていても、その作り方は知らない。本で調べようにも、書庫に入るには許可が要る。しかし人見知りが激しい幽鬼は見も知らない相手に話しかけるのは困難だった。そこで思い出したのが樊瑞だった。
「……爺様が、樊瑞、さんは、頼りになるって、よく言っているから……」
「そうか、なるほどな。しかし、残念だが私も押し花の作り方はよく分からんのだ。だが書庫で探せば押し花の作り方くらい載っている本が見つかるだろう。来るといい、一緒に探そう」
「……は、はいっ」
「新聞紙と、無地の薄紙と、板……ダンボールでもいいのか。それらを重ねて、重石をして、中の花が乾燥するまで置いておく、と。ふむ、簡単だが、時間はかかりそうだな」
「………………」
「まぁ、小さいものだから、そんなに場所はとらんだろう。カワラザキ殿に秘密にしておきたいならどこかに隠しておいた方がいいな」
幽鬼はこくりと頷く。それから用意したダンボールと新聞紙、薄紙を重ね、そこにクローバーを載せた。
「押し花のようにして、それから何か小さなフレームにいれるのか? このままじゃ枯れはしないが持ち運ぶには少々不便だろうしな」
「………………」
四葉だけのフレームと言うのも少し寂しい。これならば、四葉だけでなく、何か花も一緒に摘んでくればよかったと幽鬼は肩を落とした。
「お、これはどうだ。押し花をしおりにするそうだ」
「しおり……」
借りてきた本をめくっていた樊瑞が、あるページを開いて幽鬼に見せる。
「カワラザキ殿は本をよく読まれるし、丁度良いのではないか?」
「………………うん」
「専用のフィルムが必要らしいが、事務員に頼んでおけば大丈夫だろう。私が後で言ってきてやるから、届いたら取りに来るといい」
「……有難う、ございます」
細やかに気を回してくれる樊瑞に、幽鬼は礼を言って頭を下げた。
「構わんさ。そんなに畏まらずともいいぞ」
大きな手の平をそっと伸ばして、幽鬼の小さな頭を撫ぜる。最初はそれに反応して身を固くしたが、労わるような撫ぜ方に、やはりカワラザキを思い出した。
でもどうして、樊瑞はこんなに優しくしてくれるのだろうと疑問がわく。カワラザキもどうして自身を拾ってくれたのか不思議だった。幽鬼の生まれつきの能力について調べたがる研究者の方がまだ分かる。カワラザキは何も言わず幽鬼を育ててくれている。幽鬼は自分自身の祖父のことなど知らないが、カワラザキはまさしく、己の祖父とも言えるのだろう。時に怒ることもあるがその影に確かな愛情と言うものを感じ取れた。肉親の愛情を知らない幽鬼でも、それは分かった。暖かな陽だまりの中で、柔らかな布団に包まれているような、そんな居心地のよさ。それが幽鬼の中のカワラザキだった。
けれども樊瑞はカワラザキの同僚で信頼も篤い人物だが、カワラザキの保護する子どもだからと言ってどうして自分に優しいか分からない。己が持つ、テレパスの能力で人の裏側を見ることもできるが、カワラザキからなるべくそれは使わないようにしろと言われている。コントロールがまだうまくできないが、何でもかんでも無意識に覗いてしまうことはなくなっていた。
「………………」
「どうした?」
じぃ、と見上げる幽鬼の視線に気がついて、樊瑞は不思議そうに見返した。
「……何で、樊瑞さん、は……話を聞いて、くれるんですか?」
そう問いかけると、樊瑞は目を丸くした。その反応に、幽鬼はまずい事を言ってしまったのかと身を固くして息を飲んだ。怒られるのか。
「何故って、お主が教えてほしいと尋ねてきたからだろう? 聞かれているのに答えぬのは、意地が悪いではないか。お主はちゃんと礼も言うし、言うべき事を言う。時間がかかってもな。それに応えねばお主に失礼というものだろう」
「………………」
「少し難しいか? まぁ、簡単に言えばお主が良い子どもだからだ。だから私もお主を手伝いたいと思った」
にこやかに話す樊瑞に、幽鬼はぽかんとしていた。こうも褒められるのには慣れていない。幽鬼は幼い頃からの環境で、大人の感情に敏感だ。顔はにこやかでも、その裏に潜んだ感情は、能力を使わずとも感じ取れる。それが、樊瑞の場合はない。本当に心から幽鬼を褒めていた。
「………………」
こんなことは、カワラザキ以外経験したことがなくて、奇妙なむず痒さと気恥ずかしさが込み上げる。だが、言うべき事を思い出して、顔を赤くしてうつむきながらも口を開いた。
「て、手伝って、くれて、有難う、ございました」
「うむ、四葉のしおりも、カワラザキ殿が喜んでくれると良いな」
幽鬼は頭を撫ぜる樊瑞に何度も頷いた。
「樊瑞」
「カワラザキ殿、どうかしましたか」
数日後、不意にカワラザキが樊瑞を呼び止めた。
「いや、どうもせんが、ちと幽鬼がお主に用があると言ってな」
にこやかに言うカワラザキの後ろに、幽鬼がぴったりとくっついている。そしてその影から樊瑞を見上げて、ちょこちょこと出てきた。
「あの、これ」
そういって幽鬼が樊瑞に差し出したのは、一枚のしおりだった。それも、四葉のクローバーが飾られている。
「私にか?」
幽鬼は頷いた。カワラザキを見ると、懐から一冊の本を出してからからと笑う。そこにはしおりが挟まれているのが見えた。
「これを作るのを手伝ってくれた礼だそうじゃ。わしからも礼を言う、有難うな、樊瑞」
「私は本と道具をあげただけで、何もしてませんよ。でも、そうか。わざわざこれを作るのに四葉を見つけてきてくれたのか?」
もう一度、幽鬼が頷く。カワラザキが目を細めてその頭を優しく撫ぜた。
「では大事に使わねばな。有難う、幽鬼」
樊瑞が朗らかに笑うと、幽鬼も嬉しそうにはにかんだ。
「四葉は幸せを招くと言うが、まさに、じゃな」
子ども相応の、素直な幽鬼の笑顔にカワラザキが呟く。幽鬼はそれに首を傾げるが、樊瑞はその意味を理解して頷いた。
了
今回は3594ではなくGR。しかも国警ではなくBF団で幽鬼と樊瑞+爺様の話です。幽鬼が爺様に引き取られて暫くした頃。と言ってもいつ頃保護されたんだろう。まだ爺様が十傑集のリーダーと言う設定なので、樊瑞は爺様を呼び捨てではなく『カワラザキ殿』と言っています。一人称も『私』。20代半ばくらい。幽鬼も、樊瑞には敬語です。ノーランクの普通の子どもゆえに。10歳前後?
某所で幽鬼が探して見つけた四葉を爺様がしおりにして持っている、というネタを見て、つい。
ここでは幽鬼がしおりにして爺様にあげた、ということにしておりますが、そのネタ使っちゃ駄目!と思われましたらご連絡下さい、すぐに下げます(汗
あっちで許可求めるカキコしようにも書き込めなかったんだorz何で。ともあれすみません。
樊瑞が面倒見いいのは昔からじゃないかと思います。お父さん。幽鬼は樊瑞に父性を感じていそうです。
カワラザキの爺様は、幽鬼の陰りのない笑顔が見れて幸せです。
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