甘さの裏側
街中で女と歩いている姿を見かけた。
「──────」
楽しげに話している姿を見て思ったのは、ああ、あいつも普通に笑うのだな、と言うことだった。
「洪殿」
夕食を済ませ、片づけを終えた徐晃が、居間でテレビを見ていた曹洪の名を呼んだ。振り返れば、徐晃は紙袋に入った物を差し出し、ぽんとその手の平に乗せる。
「何だこれは」
「チョコレートですよ」
言われて納得する。今日は世に言うバレンタインデーで、会社でも女性社員から貰った。情けない話だが、かなりの数を貰ったのにもかかわらず、貰ったもの全てが義理だった。
「お前が会社で貰ってきたものか?」
手の平に載せられた紙袋の中を覗いてみると、一つしか入っていない。
「会社で貰ったものはこちらです。それは私から洪殿に、ですよ」
即座に紙袋ごと叩き返した。
「お前からのを何で俺が貰わにゃならん!!」
「私が洪殿を好きだからですが」
さらりと返ってくる恥ずかしい台詞に頭をかち割ってやろうかと言う気分になる。
「まぁ、何であれ、せっかく買ってきたのですし、食べませんか。チョコレートに罪はないですし、美味しいですよ」
いつもの事のように平然としながら、さっさと包装紙を破いて中のチョコレートを出す。まだまだいろいろ言いたいことはあるが、言うことはもっともなので、憮然としながらもソファに座りなおした。
「最近はいろんなのがでとるなぁ」
徐晃がくれたのはほうじ茶と玄米茶のチョコレートである。それに合わせるように熱い緑茶を徐晃が淹れてきた。
「抹茶のチョコはもうメジャーになりましたけれども、こちらはまだ珍しいですよね。普段、甘いものを食べないのも手伝って買ってきました」
食べてみれば確かに玄米茶のあの香ばしさが感じられた。抹茶のチョコレートと似た、少し粉っぽい舌触り。もっとも、粉っぽく感じるだけで、口どけは滑らかだ。味もノーマルのチョコレートよりまろく、ひやりとして、甘みが強い。その甘さを、熱い緑茶が程よく流し、なるほど、いい茶請けになる。
「しかしお前、これを一人で買いに行ったのか? バレンタインと言えば女の行事だ、そんな中、お前みたいなのが買いにいったんでは、相当浮いただろう」
意地が悪そうに笑って言えば、徐晃は茶を一口すすり視線を流す。
「確かにあの混雑はいただけませんね。しかし昨今、男が女にあげる、というのもあるようで、意外と男もおりましたよ」
「じゃあ、女はホワイトデーに返すのか? ……まぁ、そう考えるとそこまでおかしくもない、か?」
「他の国では男が女にプレゼントをする、という場合もあるそうですからな」
その言葉に相槌をうちながらチョコレートを食べる。そういえば徐晃も会社でチョコレートをもらってきたようだが、その内容はどうだったのだろう。
ふと、先日街中で見かけた姿を思い出した。仕事の関係で、一緒に暮らしていても共に帰ることはなく、その日も会社帰りに一人で買い物をしていたら、偶然、見かけたのだ。10代と思しき娘と腕を組んで歩いている姿。学生服ではなかったので、はたから見てもそこまで怪しげではなかったが、知らぬ者が見ればどういう関係なのかと少し興味を持つだろう。
「………………」
「洪殿?」
ぼんやりしていると、声をかけられた。
「……徐晃、お前、俺にこんなもの買ってきていていいのか?」
「は?」
「女ができたなら、そっちに行けと言っとるんだ」
「女? 誰がですか」
曹洪の言葉に徐晃は首をかしげる。その様子にわずかに苛立ちを感じて、曹洪は語気を荒くした。
「この間! 女と歩いとったのを見たぞ! 女ができたんだろう、だったらとっととそっちへ行け!」
「……この間……ああ、もしかして」
何か合点がいったのか、徐晃は持っていた湯飲みをテーブルに置く。
「妬きました?」
けろりと徐晃は逆に訊ねてきた。その噛みあわない会話に更に曹洪は苛立つ。
「誰が妬くか! ただ、お前も普通に笑うんだな、と思っただけだ! 俺の前ではいつも不気味な笑いしかせんだろうが!」
「不気味とは酷い。それに少しくらい妬いてくださってもいいでしょうに」
「何で俺が妬かねばならん」
「そう言われると思いました。残念ではありますが話を戻しますと、洪殿が見た女というのは、有り勝ちなオチですが、親戚の娘ですよ」
「親戚?」
「ええ、仕事帰りに会いまして。ちょうどバレンタインのチョコを買いに行くとかで、つき合わされたんですよ」
眉間に皺を寄せる。徐晃は気にした風でもなく、言葉を続けた。
「何でわざわざ付き合わされるんだと言う顔をしてらっしゃいますが、いわゆる荷物持ちと帰る時の足ですよ。私は車でしたからね。せっかくですから、私もそのときチョコを買ってきたんです」
「………………」
「やはり一人で買うと恥ずかしいですが、親戚の子の付き合いだと、大っぴらに見れますから。来年からはそうしましょうかね」
何気なく徐晃は言っているが、それはつまり、来年も曹洪にあげるつもりだ、と言っているようなものだった。
「────残念でした?」
苦い顔をしている曹洪に徐晃は問いかける。
「……何がだ」
言葉の意味を捉えあぐねて、低い声で睨んだ。
「いえ、何でも」
「おい」
「お味はいかがですか」
徐晃は答えず、別の質問をしてきた。じり、と不快感が内心を焼く。それは徐晃に対してのようで、違う。徐晃の問いの意味を、曹洪自身、気がついているのだ。それに対する、不安と苛立ち。
だが、それに気がつかないふりをして、曹洪は徐晃の別の問いに答える。
「……まずくはない」
「それは良かった」
「俺は何にもやらんぞ」
「チョコレートやお菓子はいりませんよ。会社で貰ったものがたくさんありますし。それに洪殿からは去年も別のものをいただいてるでしょう」
言われて、怪訝そうに片眉を上げた。去年は何もやっていないはずである。
──────いや。
ざぁっと曹洪の顔色が青くなった。
「去年は14日が日曜日でしたから気兼ねなかったのですが、今年は平日ですから、残念ではありますが自重いたしましょう」
「………………馬鹿か貴様!!! だいたい、あれはやったんじゃない、お前が勝手に!!!」
去年の事を思い出し、青い顔を今度は真っ赤にして曹洪は怒鳴った。
「そういえば昔、チョコレートと言うのは媚薬の一種として考えられていたというのはご存知ですか」
「知らん! 知りたくもない!! 俺は一人で寝る、入ってくるな!!」
「そうは申されても、私の寝場所も同じ部屋ですし」
「居間で寝てろ! 今年は絶対にせんぞ、去年だってそんなつもりはこれっぽっちもなかったんだ、だのに」
「さすがに去年はやりすぎたと反省しております。ですから今年は自重を」
「自重以前にさせんと言っているだろうが!!」
……結局、押し問答の末、根比べに負けた曹洪は、徐晃のほしいものをやるはめになってしまった。徐晃の宣言どおり、大分自重した行為だったが、それでも次の日の太陽は目に痛すぎた。
了
晃洪でバレンタイン。
のわりに、微妙に暗いところがあってすみません。
曹洪さんは未だ割り切れていないので、今後の事とか考えるといろいろ思うところがあるわけで。
終わりのない関係はない。ましてや、お互い、女性が駄目な訳ではありませんので。
曹洪さんは多分本当に妬いてなかったと思います。妬くより、何だか、放り投げられたような気分になった。
去年は因みに14日が休みだったので、13日の夜から頑張ったそうです
徐晃さんが。おかげで起きる事が出来なかった曹洪さん。
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