真赤―まそほ―

いいふうふ


 今日は祝日である。
 そんな休みの朝から、と言ってももう10時は回っているのだが、キッチンから何やら叩きつける音が幾度も聞こえてきた。何事だろうと思いながら李典は、鈍い痛みと気怠さの残る体を起こしてベッドから出た。
 「おう、起きたか。まだ寝とって構わんぞ」
 「……何をしているんですか」
 キッチンに姿を見せた李典に気が付いて曹仁が言う。李典は曹仁の手元を見ながら問いかけた。そこには大き目のボールと何やら捏ねられている生地があった。
 「パンを作っている」
 「パン?」
 手の腹でぐいぐいと捏ねながら生地を持ち上げてボールに叩きつける。先ほどから聞こえていたのはこの音だったのだ。
 「何だってまた、パンを作ろうだなんて」
 「この間、許チョから作り方を聞いたんだ。案外簡単そうだから、今日は休みだし挑戦してみるかと思ってな」
 「許チョ殿から? ……何だか意外ですね。あの人はパンよりご飯というイメージですが」
 「従兄上が食べたいと言い出したらしい。で、大量に作ってお裾分けしとった。ほれ、この前持って帰ってきただろう」
 「ああ、あれですか。あれは確かに美味しかったですけれど……。でも、作り方を聞いただけで、曹仁殿、大丈夫なんですか?」
 至極当然な疑問と不安をぶつけると曹仁は不機嫌そうに眉を寄せる。
 「何事もやってみんと分からんだろうが。ちゃんとレシピもここにある。この通りに作れば間違いはない」
 「きちんとその通りに、ですよ。ところどころをはしょったり、順番を入れ替えたりしてはいけませんよ」
 「分かっとるわ! いいからお前は寝ていろ! 醗酵だのなんだのでまだまだできんからな!」
 曹仁には大雑把なところがあるので、そこが心配である。曹仁自身も身に覚えがあって耳が痛いのか、あっちに行け、と言わんばかりに手を振る。李典はそれに軽くため息をついた。
 「シャワーを浴びてきます。ついでに洗濯もやってしまいますね」
 「おう」
 意外と真剣な目をしながら生地を捏ねる曹仁を軽く眺めてから、李典はバスルームへと向かった。



 「パンと言っても何を作るんですか? いろいろありますよね。バターロールとかフランスパンとかベーグルとか……具入りの惣菜系のパンとか、クリームやチョコや餡のパンとか」
 「昼飯に食うつもりだから、普通のバンズとかいうのを作って、間にいろいろ挟んでハンバーガーにでもしようと考えとるんだが、いいか?」
 「普通のですか? なるほど、それならまだ難易度は低いですし、失敗も少なそうですね……」
 「いちいちうるさいなお前は」
 シャワーを浴びて洗濯を済ませて戻ってくると、既に曹仁は生地を捏ね終わったようで、醗酵作業に入っていた。膨らむまで時間があるので、その間にパンにはさむ具を用意しているところだ。
 「気を悪くしてしまったのならすみません。でも、楽しみですよ。どんなものができるか」
 「普通のパンだ、それ以外にはならん!」
 まな板の上でトマトを切りながら曹仁は叫ぶ。くすくすと笑いながら李典は、テーブルの席に着いてその後ろ姿を見ていた。いつもと逆だなぁとぼんやり思う。
 洗ったレタスをちぎってボールに戻し冷蔵庫にしまう。トマトも皿にまとめてしまっておく。解凍した挽肉とみじん切りにした玉ねぎに塩コショウをふって味をつけ、よく捏ねてハンバーグの種を作る。それらの作業を意外と手際よく曹仁はこなしていた。
 「曹仁殿もうまくなりましたね……料理」
 「お前が作るのを手伝っていりゃ、手際よくもなる」
 「私のを手伝っていたから、と言うよりは、元からできていたから、無駄がなくなった、と言うように思えます。……ですが、それでもたまに変な間違い起こしますよね……大丈夫ですか? パン」
 「人を持ち上げたかと思えば返す手で下げるな……。大丈夫だ。次はガスを抜いて成形して、二次醗酵だな」
 レシピを書いてあるメモを見ながら膨らんだ生地を取り出し成形を始めた。レシピは詳しく書いてあるようで、曹仁の手もあまり迷ったりしていない。
 「昼飯までまだあるが、少し何かつまむか? 俺は起きた時に昨日の飯の残りを少し食ったからいいが、お前は何も食っておらんだろう」
 「いえ、どうせならお腹を空かせて食べたいので待ちます。空腹は最高のスパイスと言いますし」
 「そんなもんがなくとも美味い!」
 噛みつかん勢いで曹仁は李典の言葉に反論した。




 パンを焼いている間にハンバーグも焼いてしまう。一緒に卵も目玉焼きにして焼く。ケチャップがいいかソースがいいかマヨネーズがいいかで悩んだが、野菜も入るし、マヨネーズメインにすることにした。オーブンが甲高い音を立ててパンが焼けたことを教えてくれる。
 「あちち」
 扉を開ければ焼き立てのパンの、香ばしい匂いがふわりと漂ってきた。その匂いだけで食欲が刺激される。ただでさえ、ハンバーグを焼く匂いでお腹が鳴り始めていたというのに、これは追い討ちであった。
 「良い匂いですねぇ」
 こんがりと良いきつね色に焼きあがっている。熱いうちにと包丁でさくりとパンを半分に切った。湯気がほんわりと立ちのぼり、中もしっかり焼けていることを示している。
 「どうだ、きちんとできただろう?」
 「まだ味を見ていないから分かりませんが、確かに美味しそうです」
 「焼き立てだからな、美味いぞ、きっと」
 焼き上がりにすっかり上機嫌になった曹仁は次々にパンを切っていく。
 「挟むのは私がしますから、曹仁殿はコーヒーを淹れていただけませんか?」
 「ああ、そうだな。チーズもあるからそれも挟んでくれ」
 「はい」
 手分けして作業に取り掛かり、昼食の用意をする。
 ほどなくしてコーヒーの香りも加わって、二人分の食事が出来上がった。ハンバーガーはオーソドックスなものの他に、冷蔵庫にある材料で、好きなものを好きなように挟み込んだものを作ったりして遊び心も加えている。
 「それじゃあ食うか」
 「ええ、いただきます」
 「おう」
 パン食ではあるが、きちんと手を合わせて言うのはもう習慣だ。さっそく李典は一つ目のハンバーガーにかじりついた。野菜はしゃっきりとしており、濃いめの味付けにしておいたハンバーグとよく合う。それを包むように焼き立てのバンズが香ばしい。
 「うん、美味いな。どうだ、李典?」
 「はい、美味しいです。パンもちゃんと焼けていますね」
 「だから言っただろう。大丈夫だとな」
 「これは許チョ殿のレシピが良かったんですね」
 「俺の腕も良かったんだ、俺の腕も」
 「確かにそうですね。実現できる腕がなければ、できるものもできませんし」
 すっかりお昼時で、昼食とは言うが、李典にとっては朝食も兼ねていた。焼き立てのパンで作った出来立てのハンバーガーに淹れたてのコーヒー。外は天気が良く、空気は暖かい。今日は休日で、これから仕事に行くわけでもなく、のんびりとした時間帯だった。曹仁が作った食事を、二人で向かい合って食べる。何気ない、穏やかなひと時。
 「……何だか、贅沢ですね」
 「うん?」
 コーヒーを一口飲んでからぽつりと李典がこぼした。
 「ハンバーガーとコーヒーだなんてファストフードもいいところですけれど、何だかとても贅沢な気分です。朝から曹仁殿がパンを焼いてくれて、具も揃えてくれて、一から作ったものだからでしょうかね。どこかに出かけて豪華な食事を取るより、美味しく感じます」
 「そうか?」
 「ええ」
 そう言われて少し照れくさいのか、曹仁は頭をかく。しかし悪い気はしないらしく、嬉しげな様子が隠しきれていなかった。その様子に李典は分かりやすいなぁと思いながら破顔する。
 「コツは掴んだから、今度は具の入ったパンにでも挑戦してみるか」
 「一度成功しただけではコツを掴んだとは言えませんよ。もう少し何度かやってからの方が良いと思います」
 調子に乗るな、と言わんばかりに李典はすかさず釘を刺した。当然、曹仁はむっとする。ころころと表情が変わって、本当に分かりやすい。
 「でも、また作ってくださるのは楽しみにしています」
 「……おう」
 仏頂面で、それでも返事をしてくれる曹仁に愛しさを覚えながら、李典はまた一口コーヒーを飲んだ。暖かな午後がゆっくりと過ぎていく。








11月22日、11月23日はいい夫婦、いい夫妻の日だそうです。
仁さんはその後、いろいろ料理に凝りだし、材料とか道具とか揃えそうです。しかし、少ししか使わないようなものは必要ないだろうと李典さんに止められると思います。
結局、しばらくしたら凝った料理より、ある材料でちゃちゃっとできそうな方向へ進む。


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